糖尿病の治療において運動療法は血糖値の改善に有効な手段ですが、すべての方が同じように運動できるわけではありません。合併症の進行度や血糖コントロールの状態によっては、運動がかえって身体を傷つけてしまうケースがあります。

この記事では、糖尿病の運動療法で禁忌とされる具体的な症状や病態、運動を中止すべき基準、そして安全に体を動かすための注意点を、ガイドラインに基づいてわかりやすく解説します。

「自分は運動してもよいのだろうか」と不安を抱えている方に向けて、主治医への相談材料となる情報を丁寧にお伝えしていきます。

目次

糖尿病の運動療法はなぜ「禁忌」が設けられているのか

運動療法は糖尿病治療の柱のひとつですが、患者さんの状態によっては運動そのものが身体に害を与えるため、医学的に「禁忌」として制限される場合があります。禁忌とは「行ってはいけない医療行為」を意味し、運動が逆効果になる病態を指します。

運動療法が糖尿病治療で果たす本来の効果

運動をすると筋肉がブドウ糖をエネルギーとして消費するため、血糖値が下がりやすくなります。さらにインスリン(血糖値を下げるホルモン)の効きが良くなり、血糖コントロールが安定しやすくなるでしょう。

日本糖尿病学会の診療ガイドライン2024では、2型糖尿病の血糖コントロールに有酸素運動とレジスタンス運動(筋力トレーニング)が推奨グレードAで推奨されています。週150分以上の中等度の運動が目安とされており、継続によってHbA1cの有意な低下が確認されています。

「禁忌」とは医学的にどういう意味なのか

禁忌とは、ある治療法や処置を行った場合に、患者さんの状態をかえって悪化させる危険があるため、原則として行ってはならないことを意味します。糖尿病の運動療法における禁忌は「運動を絶対にしてはいけない」というケースと「条件つきで制限する」ケースに分かれます。

糖尿病の運動療法が禁忌・制限となる代表的な状態

状態・病態禁忌の程度主なリスク
増殖網膜症・増殖前網膜症原則禁忌眼底出血・硝子体出血
顕性腎症後期(第3B期)以降積極的運動は制限腎機能の急速な悪化
空腹時血糖値250mg/dL以上原則禁忌ケトアシドーシスの誘発
重篤な心血管系疾患原則禁忌心臓発作・不整脈
高度の自律神経障害慎重な判断が必要突然の低血圧・意識消失
急性感染症に罹患中一時的に禁忌症状の悪化・脱水

合併症がなくても油断は禁物|まず主治医に確認を

合併症の自覚症状がない場合でも、検査をしてみると網膜症や腎症が進行していたというケースは珍しくありません。運動療法を始める前には、必ず主治医にメディカルチェックを受けることが大切です。

とくに35歳以上の方、2型糖尿病の罹病期間が10年以上の方、高血圧や脂質異常症を合併している方は、運動負荷試験や心電図検査などを含む詳しい検査を受けてから運動を開始しましょう。

糖尿病網膜症がある方は運動で眼底出血を起こす危険がある

糖尿病網膜症を合併している方は、運動中の血圧上昇や血流の変化によって網膜の脆くなった血管が破れ、眼底出血を引き起こす恐れがあります。網膜症の進行度に応じて、運動の可否や強度が細かく変わる点を押さえておきましょう。

単純網膜症なら軽度の運動は続けられる

軽度の単純網膜症であれば、運動を制限する必要は基本的にありません。ウォーキングや軽いストレッチなど、血圧を急激に上げない範囲の有酸素運動を続けることが可能です。

ただし、単純網膜症でも点状出血が活発に変化している場合や、黄斑浮腫(網膜中央部のむくみ)がある場合には、主治医と眼科医の両方に相談した上で運動内容を決めてください。

増殖前網膜症・増殖網膜症では積極的な運動を控える

増殖前網膜症の方は、血圧への影響が少ない軽度の運動にとどめる必要があります。息を止めて力む動作や、頭を下に向ける姿勢、頭を強く振る動作は血圧を急上昇させるため、避けなければなりません。

増殖網膜症の方は、原則として積極的な運動療法は行いません。日常生活の動作まで制限する必要はありませんが、重い荷物を持ち上げる行為なども控えてください。眼科の治療を受けて網膜症の進行が安定すれば、再び運動療法を検討できるようになります。

レーザー光凝固後3〜6か月は運動を休止する

網膜症に対してレーザー光凝固術(網膜の異常な血管をレーザーで焼く治療)を受けた方は、術後3〜6か月のあいだ運動療法を休止するのが一般的です。この期間に無理をすると、治療した部位から再出血を起こす可能性があるためです。

運動再開のタイミングは眼科医の判断に委ねる形になります。自己判断で再開せず、定期的な眼底検査の結果をもとに主治医とよく話し合いましょう。

網膜症の進行度と運動の目安

網膜症の段階許容される運動避けるべき動作
軽度の単純網膜症中等度の有酸素運動とくになし
重度の単純網膜症軽度の運動のみ急激な血圧上昇を伴う運動
増殖前網膜症ごく軽い運動のみ力む動作・頭を下げる動作
増殖網膜症日常生活動作程度積極的な運動全般

糖尿病性腎症の進行度で運動制限はこれだけ変わる

糖尿病性腎症がある方の運動制限は、腎臓の障害の進み具合によって大きく異なります。早期の腎症であれば運動を制限する必要はほとんどありませんが、顕性腎症後期(第3B期)以降に進むと積極的な運動が制限されます。

早期腎症(第1期・第2期)では運動を続けてよい

腎症前期や早期腎症期の段階では、運動によって腎機能が悪化するという明確なエビデンスは示されていません。むしろ適度な身体活動は、腎症の進行を抑制する方向に働く可能性が報告されています。

運動後に一時的に尿中タンパク量が増えることがありますが、これは腎症の進行には影響しないと考えられています。過度に心配する必要はないでしょう。

顕性腎症期(第3期)以降は個別の判断が求められる

顕性腎症期に入ると、運動の内容や強度について主治医との慎重な話し合いが欠かせません。とくに第3B期(血清クレアチニン値が男性2.5mg/dL以上、女性2.0mg/dL以上)では、積極的な運動療法は原則として制限の対象になります。

  • 第1期(腎症前期):通常どおりの運動が可能
  • 第2期(早期腎症期):中等度までの運動が可能
  • 第3A期(顕性腎症前期):中等度以下の運動に調整
  • 第3B期(顕性腎症後期):積極的運動は原則制限
  • 第4期(腎不全期):主治医の指示のもとで軽い活動のみ

腎症があっても「まったく動かない」はかえって危険

腎症が進んでいるからといって、まったく身体を動かさないのは逆効果です。安静にしすぎると筋力や体力が落ち、日常生活の質が低下してしまいます。

ゆっくり散歩をする、座ったままできる軽い体操を取り入れるなど、日常の身体活動量を極端に減らさない工夫が大切です。腎臓リハビリテーションの考え方も広まってきており、主治医や理学療法士と相談しながら自分に合った運動を見つけましょう。

血糖コントロールが悪いときに運動するとかえって血糖値が上がる

「血糖値を下げたいから運動する」という考えは正しいのですが、空腹時血糖値が250mg/dL以上の高血糖状態や、尿中ケトン体が中等度以上陽性の場合は、運動によってさらに血糖値が上昇する危険があります。まず血糖値を安定させてから運動を始めることが鉄則です。

高血糖時の運動はなぜ逆効果になるのか

血糖値が極端に高い状態では、体内のインスリンが著しく不足しています。インスリンが足りない状態で激しく身体を動かすと、肝臓からブドウ糖がさらに放出され、アドレナリンなど血糖値を上げるホルモンの分泌も増えてしまいます。

その結果、運動後にかえって血糖値が上がるという皮肉な現象が起こりえます。とくに1型糖尿病の方でインスリン注射を中断・減量している場合は、この傾向が強く出やすいため注意が必要です。

ケトン体が出ている状態での運動は絶対に避ける

インスリンが極度に不足すると、体はブドウ糖の代わりに脂肪をエネルギー源として使い始めます。脂肪が分解されるときに生じるのがケトン体という酸性の物質です。ケトン体が体内に蓄積すると「糖尿病性ケトアシドーシス」という命に関わる状態を引き起こすことがあります。

尿検査でケトン体が中等度以上陽性の方は、運動を中止し、すみやかに医療機関を受診してください。2型糖尿病の方でも、清涼飲料水の大量摂取などをきっかけにケトン体が増えるケースは起こりえます。

低血糖にも気をつけたい|運動中の急激な血糖低下

インスリン注射やSU薬(スルホニル尿素薬)など、低血糖を起こしやすい薬を使っている方は、運動によって血糖値が下がりすぎるリスクにも備える必要があります。冷や汗、手の震え、動悸、強い空腹感などの症状が現れたら、ただちに運動を中止してブドウ糖や糖分を含む飲料を摂取しましょう。

運動前に血糖値を測定し、100mg/dL未満であれば軽い補食をとってから始めるのが安全です。運動中もポケットにブドウ糖やキャンディーを入れておくと安心できます。

血糖値と運動可否の目安

血糖値の範囲運動の可否対応
100mg/dL未満補食後に開始可能軽い間食をとってから運動
100〜250mg/dL運動可能通常どおり実施
250mg/dL以上原則中止医師に相談し血糖安定後に再開
ケトン体中等度以上陽性禁忌速やかに医療機関を受診

糖尿病性神経障害がある方は運動中のケガや事故に備えよう

糖尿病性神経障害は「感覚神経障害」と「自律神経障害」に大別されます。いずれの障害も、運動中に思わぬケガや体調の急変を引き起こすリスクを高めるため、事前の確認と対策が必要です。

足の感覚が鈍いと傷に気づけない

感覚神経障害が進むと、足の裏や指先の痛みや温度を感じにくくなります。靴ずれや小さな切り傷ができても気づかないまま運動を続けてしまい、傷が悪化して潰瘍や壊疽(組織が壊死する状態)に進んでしまうことがあります。

運動前には必ず足を目視で確認し、傷や水ぶくれ、赤みがないかチェックしてください。足に合った靴を選ぶこと、通気性のよい靴下を履くことも足を守る上で重要です。

自律神経障害があると血圧や心拍の調整がうまくいかない

自律神経障害が進行すると、運動中に血圧が急激に下がったり、逆に過度に上がったりする場合があります。さらに怖いのは、心筋梗塞を起こしても胸の痛みを感じない「無痛性心筋虚血」が生じる可能性があることです。

神経障害の種類と運動時のリスク

障害の種類運動時のリスク推奨される対策
感覚神経障害足の傷に気づけない運動前後の足の観察・適切な靴選び
自律神経障害(軽度)血圧変動・発汗異常軽い運動から開始し経過を観察
自律神経障害(中等度以上)失神・無痛性心筋虚血医師の指示のもとで慎重に実施

神経障害がある場合に向いている運動と向かない運動

感覚神経障害がある方には、足への負担が少ない自転車エルゴメーターや水中ウォーキング、上半身を使った体操が適しています。ランニングやジャンプなど足に衝撃が加わる運動は避けたほうがよいでしょう。

自律神経障害が中等度以上に進んでいる場合は、運動の強度を脈拍で管理すること自体が難しくなります。少しでも体調に違和感を覚えたら、迷わず運動を中止してください。

心血管系の病気を抱える糖尿病患者が運動前に受けるべき検査

心筋梗塞や狭心症、重い不整脈など心血管系の病気を合併している方は、運動が心臓に過度な負荷をかけ、命に関わる発作を誘発しかねません。運動療法を始める前に必ず医師のメディカルチェックを受け、安全な範囲を確認することが求められます。

メディカルチェックで確認すべき項目とは

糖尿病の方が運動を始める前に受けるメディカルチェックでは、安静時心電図、胸部レントゲン、血液検査に加えて、必要に応じて運動負荷心電図(トレッドミルテストなど)が実施されます。

とくに35歳以上の方、2型糖尿病の罹病期間が10年を超える方、高血圧や脂質異常症を合併している方は、運動中に隠れた心疾患が顕在化する恐れがあるため、詳しい検査を受けることを強くお勧めします。

運動中にこんな症状が出たらただちに中止する

運動中に胸の痛みや締めつけ感を覚えたら、速やかに運動をやめて安静にしてください。動悸が治まらない、呼吸が異常に苦しい、めまいがするといった症状も危険信号です。

これらの症状は心臓に何らかの異常が起きているサインかもしれません。症状が落ち着いても自己判断で運動を再開せず、必ず医療機関を受診して原因を調べてもらいましょう。

心臓リハビリテーションで安全に体力を回復させる

心筋梗塞や心臓手術の後であっても、医師や理学療法士の管理のもとで段階的に運動量を増やしていく「心臓リハビリテーション」を受けることで、安全に体力を回復させられます。糖尿病と心臓病を併せ持つ方にとって、専門スタッフのサポートを受けながら運動を行うことは非常に心強い選択肢といえるでしょう。

  • 安静時心電図:心臓のリズムや異常の有無を確認
  • 運動負荷心電図:運動中の心臓の反応を調べる
  • 心臓超音波検査:心臓の動きや弁の状態を画像で確認
  • 血液検査(BNPなど):心不全の兆候がないかを数値で評価

糖尿病の運動療法を安全に続けるために覚えておきたい中止基準と対処法

運動中にどんな症状が出たら運動をやめるべきか、その基準をあらかじめ知っておくことは、自分の身体を守るための備えになります。合併症の有無にかかわらず、すべての糖尿病患者さんに共通する中止基準を把握しておきましょう。

すべての糖尿病患者さんに共通する運動中止のサイン

運動を中止すべき症状一覧

症状考えられる原因対処法
胸の痛み・圧迫感狭心症や心筋虚血ただちに中止し受診
強いめまい・ふらつき低血圧・低血糖・脱水安全な場所で座って休む
冷や汗・手の震え・動悸低血糖ブドウ糖を摂取し血糖測定
目のかすみ血圧変動・網膜症の悪化運動を中止し眼科を受診
関節や筋肉の強い痛み整形外科的な問題負荷を見直し必要なら受診
異常な疲労感・吐き気過度な負荷・体調不良運動を中止し安静にする

安全に運動を続けるための日常的な工夫

運動を習慣化するためには、無理なく続けられる環境づくりが大切です。まずは運動前後に血糖値を測定する習慣をつけましょう。運動前の血糖値が100mg/dL未満であれば軽い補食をとり、250mg/dL以上であれば運動を見送る判断をしてください。

水分補給もこまめに行い、とくに夏場は脱水による血糖値の変動に気をつけましょう。運動は食後1〜2時間後のタイミングが血糖降下効果を得やすく、低血糖のリスクも抑えられます。

GLP-1受容体作動薬を使用中の方が運動時に気をつけること

近年、GLP-1受容体作動薬(リラグルチド、セマグルチドなど)を使って治療を受けている方が増えています。GLP-1受容体作動薬は単独使用であれば低血糖リスクは低いとされていますが、SU薬やインスリンと併用している場合には低血糖への注意が必要です。

また、GLP-1受容体作動薬には食欲を抑える作用があるため、運動量に見合った食事量が確保できているかどうかも確認してください。食事量が減りすぎた状態で運動を行うと、思わぬ低血糖やエネルギー不足による倦怠感につながることがあります。主治医と相談しながら、食事と運動と薬のバランスを整えていきましょう。

よくある質問

Q
糖尿病の運動療法で禁忌に該当するかどうかは自分で判断できる?
A

自己判断は危険です。糖尿病の運動療法における禁忌は、網膜症や腎症の進行度、血糖コントロールの状態、心血管系の合併症など、検査結果をもとに総合的に判断されます。

自覚症状がなくても合併症が進行しているケースは少なくありません。運動を始める前には、必ず主治医にメディカルチェックを依頼し、安全に運動できる範囲を確認してもらいましょう。

Q
糖尿病で運動が禁忌とされた場合でも日常の歩行は制限される?
A

禁忌とされるのはあくまで「積極的な運動療法」であり、日常生活の基本的な身体活動まで一律に制限されるわけではありません。買い物や家事などの通常の活動は、多くの場合続けて問題ないとされています。

ただし、増殖網膜症で眼底出血のリスクが高い場合や、ケトアシドーシスの兆候がある場合など、状態によっては日常動作にも注意が必要なケースがあります。具体的な活動範囲については主治医に確認してください。

Q
糖尿病の運動療法中に低血糖が起きたらどう対処すればよい?
A

運動中に冷や汗、手の震え、動悸、強い空腹感などの低血糖症状が現れたら、すぐに運動を中止してブドウ糖(10g程度)または砂糖を含む飲料を摂取してください。15分ほど安静にしても症状が改善しない場合は、もう一度同量のブドウ糖をとりましょう。

低血糖を繰り返す方は、運動前に血糖値を測定し、100mg/dL未満なら軽い補食をとってから運動を始めるようにしてください。運動中はポケットにブドウ糖を携帯しておくと安心です。

Q
糖尿病でGLP-1受容体作動薬を使っている場合、運動の注意点は変わる?
A

GLP-1受容体作動薬を単独で使用している場合、低血糖のリスクは比較的低いとされています。しかし、SU薬やインスリンと併用している方は、運動時の低血糖に十分気をつける必要があります。

GLP-1受容体作動薬には食欲を抑える働きがあるため、食事量が減った状態で運動を行うとエネルギー不足に陥ることがあります。運動量に見合った栄養摂取ができているか、主治医や管理栄養士と一緒に確認するとよいでしょう。

Q
糖尿病の運動療法で禁忌だった状態が改善したら運動を再開できる?
A

禁忌の原因となっていた病態が治療によって安定すれば、運動療法を再開できる可能性は十分にあります。たとえば、網膜症に対するレーザー治療後に病状が落ち着いた場合や、高血糖が是正されてケトン体が陰性化した場合などが該当します。

ただし再開のタイミングや運動の強度は、自己判断ではなく必ず主治医の判断を仰いでください。段階的に運動量を増やしていくことで、安全に身体を動かす習慣を取り戻せるでしょう。

参考にした文献