糖尿病網膜症が進行すると、網膜にむくみ(黄斑浮腫)や異常な新生血管が生じ、放置すれば視力を大きく損なうおそれがあります。こうした変化を食い止める治療として、眼球内に直接薬を届ける「硝子体注射」が広く選ばれるようになりました。
使用される抗VEGF薬は、血管からの水分漏出を促す物質のはたらきを抑え、むくみの軽減と視力の維持・改善を同時に目指せる治療法です。注射そのものは数分で終わり、点眼麻酔を用いるため強い痛みを感じにくい点も特徴といえます。
この記事では、硝子体注射の仕組みや治療当日の流れ、副作用への備え、そして治療効果を長く保つために日常生活で意識したいポイントまで、一つひとつ丁寧に解説します。
糖尿病網膜症の硝子体注射は網膜のむくみと出血を抑える眼科治療
硝子体注射とは、眼球の中にある硝子体腔へ直接薬剤を注入し、網膜のむくみや異常な血管の増殖を抑える治療です。糖尿病によって血管が傷み、網膜に水分が漏れ出す状態を改善するうえで有力な手段となっています。
糖尿病網膜症で網膜に起きている変化
高血糖が長期間つづくと、網膜に張り巡らされた細い血管の壁がもろくなります。血管の透過性が高まると、血液中の水分やタンパク質が組織に漏れ出し、網膜の中心部(黄斑)がむくむ「糖尿病黄斑浮腫」を引き起こします。
さらに進行すると、酸素不足を補おうとして異常な新生血管が発生します。この新生血管は非常にもろく、容易に破れて硝子体出血や網膜剥離を招くこともあるため、早い段階で治療を始めることが大切です。
抗VEGF薬が血管からの水分漏出を止めるしくみ
VEGF(血管内皮増殖因子)は、本来は組織の修復に関わるタンパク質ですが、糖尿病網膜症では過剰に分泌されて血管の透過性を高め、むくみの原因になります。抗VEGF薬はこのVEGFに結合し、そのはたらきをブロックします。
薬が効き始めると、漏れ出していた水分が吸収されて黄斑のむくみが引き、視力の回復や安定が期待できます。新生血管の成長も抑えられるため、出血や網膜剥離のリスクを下げる効果も報告されています。
レーザー治療やステロイドとの使い分け
硝子体注射が登場する以前は、レーザー光凝固術が糖尿病網膜症の標準治療でした。レーザーは異常血管を焼き固めて出血を防ぎますが、周辺の視野がやや狭くなる場合があります。一方、抗VEGF薬は視力の改善効果が高い反面、定期的な通院と注射が必要です。
ステロイドの硝子体内投与は、炎症が強いタイプの黄斑浮腫に使われることがあります。ただし眼圧上昇や白内障のリスクがあるため、患者さんごとの症状に合わせて主治医が判断するのが一般的でしょう。
| 治療法 | 特徴 | 注意点 |
|---|---|---|
| 硝子体注射(抗VEGF薬) | むくみの軽減と視力改善に高い効果 | 定期的な通院・注射が必要 |
| レーザー光凝固術 | 異常血管を焼き固め出血を防止 | 周辺視野の狭小化の可能性 |
| ステロイド注射 | 炎症が強い浮腫に有効 | 眼圧上昇・白内障のリスク |
硝子体注射で使用する抗VEGF薬の種類と投与間隔
現在、糖尿病網膜症の硝子体注射には主に3種類の抗VEGF薬が用いられています。薬剤ごとに作用の特徴や投与スケジュールが異なるため、自分に合った薬を主治医と一緒に選ぶことが治療を続けるうえでの第一歩です。
ラニビズマブ・アフリベルセプト・ファリシマブの違い
ラニビズマブはVEGFのうち特定の型を阻害する薬で、長い臨床実績があります。アフリベルセプトはVEGFだけでなく、類似の成長因子であるPlGF(胎盤増殖因子)もブロックするため、より幅広い効果が期待できるとされています。
ファリシマブは比較的新しい薬剤で、VEGFに加えてアンジオポエチン2という別のタンパク質も同時に抑える「二重特異性抗体」です。投与間隔を最大16週まで延長できる可能性があり、通院回数の負担を軽減できる場合があります。
| 薬剤名 | 主な標的 | 投与間隔の目安 |
|---|---|---|
| ラニビズマブ | VEGF-A | 4週ごと(状態により延長) |
| アフリベルセプト | VEGF-A, PlGF | 導入期後は8週ごと |
| ファリシマブ | VEGF-A, Ang-2 | 最大16週まで延長可能 |
投与スケジュールと回数の目安
多くの場合、治療開始から数か月は「導入期」として毎月1回の注射を行います。この集中投与によって網膜のむくみを短期間で抑え込み、視力を安定させることを目指します。
導入期を経て症状が落ち着いたら、投与間隔を徐々に延ばす「Treat and Extend法」へ移行するケースが多いでしょう。眼底検査やOCT(光干渉断層計)で網膜の状態を確認しながら間隔を調整するため、一人ひとりでスケジュールが異なります。
複数の薬剤を切り替える場合
ある薬剤で十分な効果が得られないとき、別の抗VEGF薬に変更する「スイッチ療法」を検討することがあります。たとえばラニビズマブで改善が乏しい場合にアフリベルセプトへ切り替えると、むくみが軽減したという報告もあります。
切り替えの判断は主治医が画像検査と視力の経過を総合的にみて行います。患者さん自身も「見え方に変化がない」「以前より見えにくくなった」と感じたら、遠慮なく伝えるようにしてください。
硝子体注射の当日はどんな流れで進むのか
「目に注射をする」と聞くと不安を感じる方は多いかもしれません。実際には点眼麻酔で痛みを抑え、注射自体は数分で完了します。事前に流れを知っておくだけで、気持ちの負担はかなり軽くなるでしょう。
注射前に行う検査と散瞳の準備
来院後、まず視力検査と眼圧測定を行い、注射が問題なくできるかを確認します。つづいて散瞳薬(瞳を広げる点眼薬)を使用し、眼底の状態を詳しく観察します。散瞳が十分に進むまで20〜30分ほどかかるため、この時間は待合室で過ごすのが一般的です。
点眼麻酔から注射完了までの手順
散瞳後、目の表面に点眼麻酔をさします。消毒液で眼の周囲を清潔にしたら、開瞼器(まぶたを固定する器具)を装着し、白目の部分から細い針で薬剤を注入します。針が入る瞬間に軽い圧迫感を感じることがありますが、強い痛みはほとんどありません。
注射そのものは数秒から十数秒で終わり、その後に再度消毒を行って完了です。
治療後の安静時間と帰宅後の過ごし方
注射のあとは15〜30分ほど院内で安静にし、異常がないかを医師が確認します。散瞳の影響で数時間はまぶしさやピントの合いにくさが残るため、車の運転は避けてください。
帰宅後は目をこすらないよう注意し、処方された抗菌点眼薬を指示どおりに使います。入浴は当日から可能な場合が多いものの、洗顔時に水が目に入らないよう気をつけましょう。翌日以降はふだんどおりの生活に戻れるケースがほとんどです。
| タイミング | 内容 |
|---|---|
| 来院直後 | 視力検査・眼圧測定・散瞳薬の点眼 |
| 散瞳後 | 点眼麻酔・消毒・薬剤の注入(数分) |
| 注射後 | 院内で15〜30分安静・経過観察 |
| 帰宅後 | 抗菌点眼薬の使用・目を清潔に保つ |
硝子体注射の副作用・合併症と早期発見のサイン
硝子体注射は安全性の高い治療ですが、どのような医療行為にもリスクはゼロではありません。起こりうる副作用をあらかじめ知っておくと、万が一の変化に早く気づけます。
充血や軽い痛みなど一時的な症状
注射直後にもっとも多いのは、白目の充血や軽い異物感です。注射針が結膜の細い血管を傷つけることで出血が起き、数日から1週間ほどで自然に吸収されます。目のゴロゴロした感じも一時的なもので、通常は翌日には和らぎます。
眼内炎・網膜剥離などまれだが注意が必要な合併症
頻度は非常に低いものの、細菌が眼内に入り込んで起こる眼内炎は見逃せない合併症です。発症率はおおむね0.02〜0.05%とされていますが、放置すると重度の視力低下につながりかねません。
また、もともと網膜が薄くなっている部分がある場合、ごくまれに網膜剥離が生じることがあります。いずれも早期に発見して治療すれば重篤な経過を防げるため、注射後に異変を感じたらすぐに受診してください。
急な視力低下や飛蚊症の増加に気づいたら受診を
「急に視界がかすむ」「黒い点や糸くずのようなものが急激に増えた」「目の奥に強い痛みが出た」といった症状は、合併症を疑うサインです。こうした変化は注射後1週間以内に現れることが多いため、この期間は特に注意深く過ごしましょう。
自己判断で様子を見ず、気になる症状があれば治療を受けた眼科にすぐ連絡してください。早めの対応が視力を守る鍵になります。
| 副作用の分類 | 主な症状 | 頻度 |
|---|---|---|
| 軽度(一時的) | 充血・異物感・軽い痛み | 比較的多い |
| 中等度 | 飛蚊症の一時的な増加・眼圧上昇 | まれ |
| 重度 | 眼内炎・網膜剥離・硝子体出血 | 非常にまれ |
血糖コントロールと生活習慣が硝子体注射の効果を左右する
せっかく注射を続けていても、血糖値が高い状態のままでは網膜の血管は繰り返しダメージを受けます。治療と同時に、日々の血糖管理や生活習慣の見直しを行うことが、視力を長く守るうえで欠かせません。
HbA1cと血圧を安定させることで網膜を守る
HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)は過去1〜2か月の血糖の平均値を反映する指標です。この値を7%未満に保つと、網膜症の進行リスクが大幅に下がることが臨床研究で示されています。
高血圧も網膜の血管に負担をかける要因です。降圧目標は主治医と相談して決めますが、家庭血圧を毎日測定し、推移を記録しておくと受診時に役立ちます。
食事・運動・睡眠を整える日常の工夫
食後の急激な血糖上昇を避けるためには、野菜やタンパク質を先に食べ、炭水化物を後に回す「ベジファースト」が手軽に取り入れやすい方法です。間食はナッツや乳製品など血糖値の上がりにくいものを少量にとどめるとよいでしょう。
- 食物繊維の多い野菜・海藻・きのこ類を毎食取り入れる
- ウォーキングなど有酸素運動を1日20〜30分行う
- 睡眠時間は6〜7時間を確保し、就寝前のスマートフォン使用を控える
- 禁煙を継続し、飲酒は適量にとどめる
定期的な眼底検査を続ける意味
注射で一時的にむくみが引いても、糖尿病が続くかぎり再発の可能性は残ります。眼底検査やOCTを定期的に受けることで、自覚症状が出る前の小さな変化を捉え、必要なタイミングで追加の注射やレーザーを行えます。
「見え方が安定しているから」と通院をやめてしまう方も少なくありませんが、自覚がないまま網膜症が進行するケースもあるため、主治医の指示する間隔で必ず検査を受けるようにしてください。
硝子体注射の効果が出にくいときに検討する治療の選択肢
抗VEGF薬の硝子体注射を数回行っても十分な改善がみられない場合があります。効果が限定的になる原因はいくつかあり、原因に応じて別のアプローチを組み合わせることで改善を目指せるケースは少なくありません。
効果が限定的になる主な要因
黄斑浮腫が長期間続いて網膜が構造的に変化している場合、薬剤でむくみを取っても視力が回復しにくくなることがあります。また、VEGFだけでなく炎症性サイトカインが強く関与しているタイプの浮腫では、抗VEGF薬だけでは十分に効かないことも考えられます。
血糖コントロールが不安定な場合も、注射の効果が持続しにくい要因の一つです。
レーザー光凝固術や硝子体手術との併用
増殖糖尿病網膜症の段階では、抗VEGF薬とレーザー光凝固術を併用して異常血管の退縮を図ることがあります。汎網膜光凝固(パンレチナル光凝固)は広範囲にレーザーを照射し、新生血管を発生させにくくする治療です。
硝子体出血や牽引性の網膜剥離が生じた場合には、硝子体手術(ビトレクトミー)が必要になることもあります。術前に抗VEGF薬を注射して出血を減らし、手術の安全性を高める方法も広く行われています。
薬剤の変更やセカンドオピニオンの活用
前述のように、同じ抗VEGF薬でも患者さんによって反応は異なります。効果が実感できないときは、薬剤を変更するかステロイド注射を併用するか、主治医と率直に話し合ってください。
治療方針に迷いが生じたときは、セカンドオピニオンを受けることも一つの方法です。別の専門医の意見を聞くことで、新たな治療の道が開けることがあります。転院を前提としたものではないため、気軽に相談してみるとよいでしょう。
- 別の抗VEGF薬への変更(スイッチ療法)を主治医に相談する
- ステロイド硝子体内注射やインプラントの併用を検討する
- セカンドオピニオン外来のある眼科を調べ、紹介状を依頼する
糖尿病網膜症の硝子体注射にまつわる不安をやわらげるための心がけ
目の治療に対する恐怖や通院の負担は、患者さんにとって小さくないストレスです。不安を減らすために正しい情報を得ること、そして一人で抱え込まないことが、治療を無理なく続けるための支えになります。
注射の痛みや恐怖心をやわらげる工夫
点眼麻酔をしっかり効かせた状態で注射するため、多くの方が「思ったより痛くなかった」と話されます。注射中は天井の一点を見つめるよう指示されるため、針が見えることはありません。
緊張が強い場合は深呼吸を意識し、肩の力を抜くだけでも身体のこわばりが和らぎます。担当医や看護師に「怖い」と伝えておくと、声かけのタイミングを工夫してもらえるでしょう。
通院回数と仕事・家事の両立
導入期は月1回の通院が続くため、仕事や家事のスケジュール調整に悩む方もいます。注射自体は短時間で終わりますが、散瞳の影響で帰りに見えづらくなる点を考慮し、午前中の早い時間帯に予約を取ると午後の予定に影響しにくくなります。
投与間隔が延びれば2〜3か月に1回の通院で済む場合もあるため、治療の序盤を乗り越えれば負担は徐々に軽くなります。
| 治療時期 | 通院ペースの目安 |
|---|---|
| 導入期(最初の3〜5か月) | 月1回 |
| 維持期(安定後) | 2〜4か月に1回 |
| 経過良好時 | 半年に1回の検査 |
ひとりで抱え込まず家族や医療スタッフに頼る
視力に関する不安は精神的な負担が大きく、気分の落ち込みにつながることもあります。家族に通院の付き添いをお願いしたり、困っていることを言葉にして伝えたりするだけでも気持ちが楽になるものです。
眼科のスタッフや糖尿病の担当医、管理栄養士など、相談できる専門家は身近にたくさんいます。治療の継続は「一人の頑張り」ではなく、チームで取り組むものだと捉えてみてください。
よくある質問
- Q糖尿病網膜症の硝子体注射は1回で効果が出ますか?
- A
1回の注射でむくみが軽減する場合もありますが、多くの方は数回の投与を経て効果が安定します。導入期として月1回のペースで3〜5回注射を行い、その後に間隔を広げていくのが一般的な流れです。
治療の効果は眼底検査やOCTの画像で客観的に評価できますので、自覚症状だけで判断せず、主治医の評価を参考にしながら治療を続けることをおすすめします。
- Q硝子体注射を受けたあと、日常生活で気をつけることはありますか?
- A
注射当日は目をこすらないようにし、処方された抗菌点眼薬を忘れずに使用してください。入浴は可能ですが、洗顔や洗髪のときに水が直接目に入らないよう注意しましょう。
翌日からはほぼ通常どおりの生活を送れます。ただし、激しい運動や長時間のサウナ、プールの利用は数日間控えるよう指示されることが多いです。気になる点は事前に主治医へ確認しておくと安心でしょう。
- Q糖尿病網膜症の硝子体注射に痛みはありますか?
- A
点眼麻酔を十分に効かせてから注射を行うため、強い痛みを感じることはまれです。針が入る瞬間に軽い圧迫感や違和感を覚える方はいますが、「チクッとする程度だった」という声がほとんどです。
注射後に軽い異物感や鈍い痛みが残ることもありますが、通常は数時間で治まります。痛みに対して過度な不安がある場合は、事前に担当医へ伝えておくと配慮してもらえます。
- Q硝子体注射をやめたら糖尿病網膜症は再発しますか?
- A
糖尿病そのものが治らないかぎり、網膜症やむくみが再発する可能性は残ります。注射の効果は永続的なものではなく、薬の効き目が切れると再び水分の漏出が始まることがあるためです。
ただし、血糖コントロールが良好に保たれている方では再発のリスクが低く、投与間隔を延ばせるケースもあります。自己判断で治療を中断せず、主治医と相談しながら段階的に通院間隔を調整していくことが大切です。
- Q糖尿病網膜症の硝子体注射はどのくらいの期間つづける必要がありますか?
- A
治療期間は個人差が大きく、数か月で安定する方もいれば、数年にわたって継続する方もいます。導入期の3〜5か月はほぼ毎月通院しますが、その後は症状に応じて2〜4か月に1回のペースに移行するのが一般的です。
長期にわたる治療に不安を感じる方も多いですが、投与間隔が延びるほど通院の負担は軽くなります。定期的な検査で網膜の状態を確認し、必要がなくなった時点で治療を終了できるよう、主治医と二人三脚で取り組んでいきましょう。


