糖尿病の治療中に起こりうる重症低血糖は、患者さん本人が自力で対処できないほど危険な状態です。家族が目の前で意識を失ったとき、慌てずに行動できるかどうかが命を左右します。
グルカゴン注射やバクスミー点鼻薬は、そんな緊急時に血糖値を速やかに上昇させる救急治療薬です。この記事では、グルカゴン製剤の具体的な使い方から投与後の対応、日常の備えまでを丁寧に解説します。
「いざという時」に正しく動けるよう、ぜひご家族と一緒にお読みください。
重症低血糖で倒れた家族を救えるのはそばにいるあなた|グルカゴン注射の基本を押さえよう
重症低血糖が起きたとき、患者さん自身はブドウ糖を飲むことも、助けを呼ぶこともできません。そばにいる家族がグルカゴン注射を正しく使えるかどうかが、回復の鍵を握ります。
グルカゴンは血糖値を上げる唯一の救急治療薬
グルカゴンとは、すい臓から分泌されるホルモンの1つです。肝臓に蓄えられたグリコーゲン(糖の貯蔵物質)を分解し、血液中にブドウ糖を放出させる働きがあります。
インスリンが血糖値を下げるホルモンであるのに対し、グルカゴンは血糖値を上げるホルモンです。低血糖時にグルカゴンを筋肉注射すると、通常10~20分以内に血糖値が回復に向かいます。
インスリン治療中の方が重症低血糖に陥りやすい理由
インスリンを自己注射している方は、投与量と食事のタイミングがずれたり、運動量が予想以上に多かったりすると血糖値が急激に下がることがあります。とくに1型糖尿病の方は低血糖の頻度が高い傾向にあるでしょう。
低血糖を繰り返すと、冷や汗や手の震えといった初期症状に気づきにくくなることがあります。この「無自覚性低血糖」は、気づかないまま重症化するため非常に危険です。
低血糖の段階別症状と対処の目安
| 血糖値の目安 | 主な症状 | 対処 |
|---|---|---|
| 70mg/dL未満 | 冷や汗、手の震え、動悸 | ブドウ糖10gを摂取 |
| 50mg/dL前後 | 頭痛、眠気、集中力低下 | ブドウ糖摂取と安静 |
| 30mg/dL以下 | 意識障害、けいれん、昏睡 | グルカゴン投与と救急要請 |
低血糖の初期症状を見逃さないために家族も備えておこう
患者さんの顔色が急に青白くなったり、受け答えがおかしくなったり、ぼんやりして反応が鈍くなった場合は、低血糖を疑う必要があります。意識がある段階ならブドウ糖を口から摂ってもらえますが、呼びかけに反応しなくなったらグルカゴンの出番です。
普段から「グルカゴンがどこに保管してあるか」「どう使うのか」を家族全員で確認しておくことが大切です。
グルカゴン注射(筋肉注射タイプ)の使い方と投与手順を覚えておけば慌てずに済む
従来のグルカゴン注射は、粉末を溶かしてから注射器で吸い上げるという手順が必要です。緊急時に焦らないよう、事前に流れを把握しておくことが大切です。
粉末バイアルに溶解液を注入して溶かす
グルカゴン注射のキットには、粉末が入った小瓶(バイアル)と溶解液(注射用水)1mLが付属しています。まず注射器で溶解液を全量吸い上げ、バイアルのゴム栓に針を刺して注入します。
バイアルをゆっくり回すようにして粉末を溶かしましょう。激しく振ると泡立って正確に吸い上げにくくなります。完全に溶けて透明な液体になったことを確認してから次の手順に進みます。
溶解したグルカゴンを注射器で吸い上げる
粉末が溶けたら、バイアルを逆さにして注射器でゆっくり全量を吸い上げます。成人の場合は1mg(1mL)が1回の投与量となります。
注射器内に気泡が入った場合は、注射器を上に向けて軽くはじき、気泡を上部に集めてから押し出してください。溶解後はすぐに使うことが原則で、時間が経つと薬効が落ちるため注意が必要です。
上腕・太もも・お尻のいずれかに筋肉注射する
注射部位は、上腕の外側、太ももの前面、お尻の上部外側のいずれかを選びます。衣服の上からでも構いませんが、できれば肌を露出させたほうが確実です。
針を皮膚に対して垂直に素早く刺し入れ、注射器の中身をゆっくり押し込みます。注射後は針を抜いて軽くガーゼなどで押さえましょう。神経走行部位を避け、痛みや出血があればすぐに針を抜いて別の場所に打ち直します。
グルカゴン注射(筋注タイプ)の投与手順まとめ
| 手順 | 内容 | 注意点 |
|---|---|---|
| 1 | 溶解液をバイアルに注入 | 全量を注入する |
| 2 | バイアルを回して溶かす | 激しく振らない |
| 3 | 注射器で全量吸い上げ | 気泡を除去する |
| 4 | 筋肉に注射する | 垂直に素早く刺す |
バクスミー(グルカゴン点鼻薬)なら注射が苦手でもすぐに投与できる
バクスミーは、グルカゴンを鼻から投与する点鼻粉末剤です。注射の手技に不安がある方でも、鼻に入れてボタンを押すだけで投与が完了するため、緊急時に使いやすい製剤として注目されています。
バクスミーは鼻に入れてボタンを押すだけで完了する
バクスミーの使い方はとてもシンプルです。パッケージを開封し、点鼻容器の先端を患者さんの片方の鼻腔に差し込んで、注入ボタンをしっかり押し込むだけで3mgのグルカゴンが噴霧されます。
模擬投与の試験では、使い方の説明を受けた家族の約90%が正しく全量投与に成功し、投与完了までの平均時間はわずか24秒でした。意識を失っている患者さんにも使えるのが大きなメリットです。
注射タイプと点鼻タイプの効果に大きな差はない
日本人の1型・2型糖尿病患者さんを対象とした臨床試験では、グルカゴン筋注と点鼻の低血糖回復率はどちらも100%でした。回復までにかかった時間も、筋注で平均11分、点鼻で12分とほぼ同等の結果が報告されています。
副作用についても、点鼻では鼻の痛みが約8.5%にみられ、筋注では吐き気が約11%にみられましたが、いずれも重篤なものではありませんでした。
グルカゴン注射と点鼻薬(バクスミー)の比較
| 項目 | 注射タイプ | バクスミー(点鼻) |
|---|---|---|
| 投与方法 | 筋肉注射 | 鼻腔内に噴霧 |
| 投与量 | 1mg | 3mg |
| 回復時間の目安 | 約10~20分 | 約10~15分 |
| 保管温度 | 冷所(15℃以下) | 室温(1~30℃) |
| 使い切り | 溶解後すぐ使用 | 1回使い切り |
バクスミーは室温保管ができるので持ち歩きにも便利
従来のグルカゴン注射は冷所保管が必要でしたが、バクスミーは1~30℃の室温で保管できます。外出時にバッグに入れて携帯できるため、旅行先や職場でも「いざという時」に備えやすいでしょう。
2020年度のグッドデザイン賞を受賞したデザインも特徴の1つで、医療の知識がない方でも直感的に使える工夫が凝らされています。
低血糖で意識を失った人を前にしたとき、救急車が来るまでにやるべきこと
家族が突然意識を失う場面に遭遇したら、まず落ち着いて行動することが大切です。グルカゴンの投与だけでなく、安全確保と救急要請を含めた一連の対応を頭に入れておきましょう。
まず安全な体位(回復体位)をとらせる
意識がない方をあおむけにしたままにすると、嘔吐物で気道がふさがる危険があります。患者さんを横向きに寝かせ、上側の膝を軽く曲げて体を安定させる「回復体位」をとらせましょう。
顔もやや下向きにして、口の中に嘔吐物があれば取り除きます。呼吸ができているかを確認しながら、グルカゴンの準備に取りかかります。
意識がない人の口にブドウ糖や食べ物を入れてはいけない
低血糖と聞くと、つい甘いものを口に入れたくなるかもしれません。しかし意識がない方の口に食べ物や液体を入れると、誤嚥(ごえん)して窒息する恐れがあります。
口からの糖分摂取は、意識がはっきりしていて自力で飲み込める場合にだけ行ってください。意識がなければ迷わずグルカゴンを投与し、同時に119番通報も忘れずに行いましょう。
グルカゴン投与後10~15分で意識が戻らなければすぐに119番通報
グルカゴンを投与したあとは、患者さんのそばで様子を観察し続けます。通常10~15分で意識が改善し始めますが、まったく反応がなければ速やかに救急車を呼んでください。
意識が戻ったら、再び低血糖に陥るのを防ぐためにブドウ糖や糖分を含む飲食物を摂ってもらいます。グルカゴンの効果は一時的なものであり、体内のグリコーゲンが枯渇すると血糖値が再び下がる可能性があるためです。
低血糖で意識がないときの緊急対応フロー
| 順序 | やること | ポイント |
|---|---|---|
| 1 | 安全確保と回復体位 | 横向きに寝かせ気道を確保 |
| 2 | グルカゴン投与 | 注射または点鼻で投与 |
| 3 | 119番通報 | 投与しても反応なければ即通報 |
| 4 | 回復後に糖分補給 | 再低血糖を防ぐため経口摂取 |
グルカゴンを投与しても血糖値が回復しないケースはどう判断する?
グルカゴンは多くの場合に効果を発揮しますが、すべての低血糖に万能というわけではありません。効果が出にくい状況もあるため、あらかじめ知識を持っておくと冷静に判断できます。
グルカゴンの効果が出にくいケースもある
グルカゴンの血糖上昇作用は、肝臓に蓄えられたグリコーゲンを分解することで発揮されます。そのため、長時間の絶食状態や極度の栄養不足でグリコーゲンが枯渇している場合には、十分な効果が得られないことがあります。
アルコールを大量に飲んだあとの低血糖も同様です。アルコールは肝臓での糖新生を抑えるため、グルカゴンを投与しても血糖値がほとんど上がらないことが知られています。
反復投与は避けてブドウ糖の静脈注射を優先する
グルカゴンの投与後、10~20分たっても意識が改善しない場合でも、もう1本追加で投与するのは推奨されていません。反復投与は吐き気や嘔吐などの副作用を強める恐れがあり、効果も期待しにくいためです。
この場合は救急隊や医療機関でのブドウ糖静脈注射が必要です。迷わず119番に電話して、医療の助けを求めてください。
グルカゴンの効果が出にくい状況
- 長時間の絶食や極度の栄養不足で肝臓のグリコーゲンが枯渇している場合
- 大量飲酒後のアルコール性低血糖
- 副腎機能低下症を合併している場合
意識が回復した後も必ず医療機関を受診する
グルカゴンの投与で意識が戻ったとしても、その後に二次的な低血糖が起こることがあります。投与後60~90分ほどでインスリン分泌が促進され、再び血糖値が急降下するケースが報告されています。
回復後はすぐに糖分を摂取したうえで、当日中にかかりつけ医を受診するようにしましょう。グルカゴンを使うほどの重症低血糖が起きた場合、インスリン投与量や治療方針の見直しが必要になるかもしれません。
インスリン治療中の低血糖リスクを減らして「いざという時」に備える生活習慣
グルカゴンはあくまで緊急時の手段であり、理想は重症低血糖を起こさないことです。日常の小さな工夫で低血糖リスクを減らしながら、万が一に備える習慣を身につけましょう。
食事のタイミングとインスリン投与量のバランスを見直す
低血糖の多くは、食事の遅れや食事量の不足、あるいはインスリンの過剰投与によって引き起こされます。毎日の食事時間をなるべく一定にし、食事量が少ないときはインスリン量を調整する習慣をつけることが大切です。
運動をする日は、運動前に補食を摂るか、インスリン量を減らすなどの対策を主治医と相談してください。激しい運動のあとは数時間後に遅発性低血糖が起こることもあるため注意が必要です。
低血糖の前兆に気づいたらすぐにブドウ糖を摂る
冷や汗、手足の震え、空腹感、動悸といった低血糖の初期症状を感じたら、すぐにブドウ糖10gを摂取しましょう。錠剤タイプやゼリータイプのブドウ糖が市販されているので、常にバッグやポケットに入れて持ち歩くことをおすすめします。
15分経っても症状が改善しない場合は、もう一度同量を摂ります。周囲の人にも「自分は糖尿病で低血糖を起こすことがある」と事前に伝えておくと安心でしょう。
家族と一緒にグルカゴンの使い方を練習しておくと安心
処方されたグルカゴンのキットは、使わないまま保管しているご家庭も多いかもしれません。ただ、緊急時に説明書を読みながら対応するのは非常に困難です。
かかりつけの医療機関で使い方の指導を受けたら、自宅で家族と一緒に手順を確認しておきましょう。バクスミーであればデモ用のデバイスで練習できることもあるので、主治医や薬剤師に相談してみてください。
低血糖に備えて日頃からやっておきたいこと
- ブドウ糖(錠剤やゼリー)を常に携帯する
- グルカゴンの保管場所を家族全員で共有する
- 職場や学校にも低血糖時の対応を伝えておく
- 定期的に血糖測定を行い、低血糖の傾向を把握する
グルカゴン注射やバクスミーの保管方法と使用期限を守ろう
せっかく処方されたグルカゴンも、正しく保管できていなければ緊急時に効果を発揮できません。製剤ごとに保管条件が異なるため、それぞれのルールを確認しておきましょう。
グルカゴン注射(筋注タイプ)は冷所保管が鉄則
従来のグルカゴン注射は、開封後も15℃以下の冷所で遮光保管する必要があります。冷蔵庫のドアポケットなど温度変化の少ない場所が適しています。凍結させると使用できなくなるため、冷凍庫には入れないでください。
使用時に粉末を溶解したあとは、速やかに投与しなければなりません。溶かしたまま放置すると薬効が低下するうえ、一度凍結した溶解液は使えなくなります。
グルカゴン製剤の保管条件比較
| 製剤 | 保管温度 | 注意点 |
|---|---|---|
| グルカゴン注射(筋注) | 15℃以下(冷所) | 遮光保管・凍結厳禁 |
| バクスミー(点鼻) | 1~30℃(室温) | 高温多湿を避ける |
バクスミーは室温保管できるが高温多湿は避ける
バクスミーは室温(1~30℃)で保管でき、持ち運びにも便利な製剤です。ただし、夏場の車内や直射日光の当たる場所は30℃を超えやすいため避けてください。
バッグの中に入れて持ち歩く場合でも、保冷ポーチを使うほどではありませんが、極端な高温にさらさないよう気を配りましょう。
使用期限が切れた薬剤は絶対に使わない
グルカゴン製剤には使用期限が記載されています。期限切れの薬剤は成分が劣化している可能性があり、十分な血糖上昇効果が得られないことがあります。
定期的に使用期限を確認し、期限が近づいたら主治医に相談して新しいものを処方してもらいましょう。古い薬剤は薬局に返却して適切に廃棄してもらうのが安全です。
よくある質問
- Qグルカゴン注射は医療従事者でなくても打てる?
- A
グルカゴン注射は、家族など患者さんの看護者が投与できるよう認められています。主治医や薬剤師から事前に使い方の指導を受けておくことが条件となります。
バクスミー(点鼻タイプ)については、2024年以降、学校の教職員がやむを得ない状況で使用することも認められるようになりました。ただし保護者の依頼書や医師の指示書が必要です。
- Qグルカゴン投与後に吐き気が出た場合はどう対処すればよい?
- A
グルカゴンの副作用として吐き気や嘔吐がみられることがあります。意識が回復した患者さんが嘔吐した場合は、横向きの体位を維持して気道を確保しつつ、落ち着いてから少しずつ糖分を摂ってもらいましょう。
嘔吐が続いて経口摂取が難しい場合は、医療機関でブドウ糖の点滴を受ける必要があるため、速やかに受診してください。
- Qバクスミー点鼻薬は子どもの低血糖にも使える?
- A
バクスミーは小児にも使用が認められており、投与量は成人と同じ3mgを1回鼻腔内に投与します。年齢による用量調整は不要です。
とくに1型糖尿病のお子さんは学校や外出先で重症低血糖を起こすリスクがあるため、保護者だけでなく学校関係者にも使い方を共有しておくと安心です。
- Qグルカゴン製剤を処方してもらうにはどうすればよい?
- A
グルカゴン注射やバクスミーは、糖尿病の治療を行っている主治医に相談すれば処方してもらえます。とくにインスリン治療を受けている方や、過去に重症低血糖の経験がある方は、主治医に積極的に相談してみてください。
処方時には家族への使用方法の指導も行われますので、ご家族と一緒に受診されることをおすすめします。
- QグルカゴンとGLP-1受容体作動薬にはどんな関係がある?
- A
GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)は、グルカゴンと同じくすい臓のホルモンに関連する物質です。GLP-1受容体作動薬は血糖値が高い時にインスリン分泌を促進する糖尿病治療薬であり、単独使用では低血糖を起こしにくいとされています。
ただし、インスリンやSU薬と併用する場合は低血糖のリスクが高まることがあります。併用薬がある方は、主治医と相談のうえでグルカゴン製剤の備えを検討してください。


