手術前後の血糖コントロールは、術後の感染症を減らし回復を早めるうえで欠かせない取り組みです。糖尿病のある方はもちろん、糖尿病と診断されていない方でも手術のストレスで血糖値が急上昇し、傷の治りや免疫機能に影響を及ぼすことがわかっています。

現在のガイドラインでは、集中治療室の患者さんで140〜180mg/dL、一般病棟では食前140mg/dL未満を目安に血糖を管理することが推奨されています。目標を大きく外れる高血糖は術後感染のリスクを高める一方、厳しすぎる管理は低血糖を招くため、適切なバランスが大切です。

この記事では、周術期に血糖値が乱れる原因から具体的な管理目標、インスリン療法の実際、退院後のケアまでを幅広く解説します。手術を控えている方やご家族に、安心して準備を進めていただくための情報をまとめました。

目次

周術期に血糖値が乱れると術後感染症リスクが高まる

高血糖の状態が続くと、白血球による細菌への防御力が低下し、術後の感染症が増えることが複数の研究で示されています。糖尿病の有無にかかわらず、手術前後の血糖管理は術後の経過を左右する大きな要因です。

高血糖が白血球の働きを弱めてしまう

血糖値が180mg/dLを超える状態が長く続くと、好中球と呼ばれる白血球の一種が本来の力を発揮できなくなります。好中球は体内に入った細菌を食べて処理する免疫細胞で、感染から体を守る最前線の役割を担っています。

高血糖のもとでは、好中球が細菌を取り込む力(貪食能)が落ちるだけでなく、傷口へ移動する速度(遊走能)も鈍くなります。加えて、血糖が高いと活性酸素や炎症性サイトカインの産生が増え、組織の修復をさまたげる方向に作用します。

手術という大きなストレスを受けた体にとって、免疫力の低下は傷の治癒や回復期間に直結する問題といえるでしょう。

糖尿病がなくても手術中の血糖上昇は起きる

「糖尿病でないから大丈夫」と思われがちですが、手術のストレスによる血糖上昇は糖尿病のない方にも起こります。ある研究では、非心臓手術の周術期に高血糖を示した患者の約3分の1が、それまで糖尿病と診断されていなかったと報告されています。

手術時のストレスはコルチゾールやアドレナリンなどのホルモン分泌を増やし、一時的にインスリンの効きを弱めます。そのため健康な方でも血糖が通常より高くなることがあり、この状態を「ストレス高血糖」と呼びます。

ストレス高血糖は一過性であっても術後の経過に影響する可能性があるため、手術中の血糖モニタリングはすべての患者さんにとって意味のある取り組みです。

術後の創部感染と血糖値の関連を示すデータ

術後の血糖値が200mg/dLを超えた患者群では、手術部位感染(SSI)の発生率が有意に高かったとする報告が複数あります。大腸手術、人工関節置換術、乳腺手術など、手術の種類を問わず同様の傾向が確認されています。

術後血糖値SSIリスク対応の目安
140mg/dL未満低い経過観察
140〜180mg/dLやや上昇インスリン補正を検討
180mg/dL以上明らかに上昇インスリン投与を開始

メタアナリシスの結果でも、150mg/dL未満を目標にした厳格な血糖管理を行ったグループは、通常管理のグループに比べてSSIの発生率がおよそ半分に減ったことが示されています。感染予防の観点から、血糖コントロールの質が術後の経過を大きく左右するといえるでしょう。

手術のストレスで血糖値が急上昇するのはなぜか

手術中や直後に血糖値が跳ね上がる原因は、ストレスホルモンの急増とインスリン抵抗性の一時的な悪化にあります。体は手術の侵襲に対して防御反応を起こし、その過程でエネルギー源であるブドウ糖を血中に大量に放出します。

ストレスホルモンがインスリンの効きを鈍らせる

手術という体への侵襲を受けると、副腎からコルチゾール、副腎髄質からアドレナリンやノルアドレナリンが大量に分泌されます。これらのホルモンは肝臓での糖新生(ブドウ糖の産生)を促進し、同時に末梢組織でのインスリン感受性を低下させます。

膵臓のβ細胞からのインスリン分泌量も相対的に不足するため、血糖を下げる力が弱まり、結果として高血糖が生じやすくなるのです。胸部や腹部の大きな手術ほど、この反応は強く長く続く傾向があります。

麻酔や絶食も血糖変動の引き金になる

全身麻酔そのものが自律神経のバランスを変え、血糖調整に影響を与えます。また、手術前の長時間の絶食は肝臓のグリコーゲン貯蔵を減少させ、術後にブドウ糖が投与されたときの血糖上昇を招きやすくなります。

近年のERAS(術後回復強化プログラム)では、手術直前までの経口糖質摂取が推奨されるケースもあり、不要な長時間絶食を避けることで血糖の安定につながると考えられています。

点滴に含まれるブドウ糖が見落とされやすい血糖上昇の原因

手術中や術後に使われる輸液製剤の中には、ブドウ糖を含むものがあります。ブドウ糖入りの点滴や、抗菌薬をブドウ糖液で溶かして投与する場合、予想以上に血糖を上げることがあるため注意が必要です。

経腸栄養や中心静脈栄養もブドウ糖の供給源となります。看護スタッフや薬剤師と情報を共有し、患者さんが受けているすべてのブドウ糖負荷を把握することが、的確な血糖管理につながります。

術前にHbA1cを確認して手術に備える血糖コントロール

手術前にHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)を測定しておくと、直近2〜3か月間の血糖コントロール状態がわかります。この数値をもとに、術前の薬剤調整や術後の管理計画を立てることが術後合併症の予防に直結します。

HbA1cが高いと術後合併症のリスクも高まる

HbA1cが8%を超えている場合、術後の感染症や創傷治癒の遅延、入院期間の延長などが報告されています。一方で、手術を予定通り進めるべきか延期すべきかは、HbA1cの数値だけでなく、手術の緊急性や全身状態を総合的に判断して決まります。

HbA1cが高い方は、可能であれば手術の数週間〜数か月前から血糖コントロールを強化し、少しでも値を改善してから手術に臨むことが望ましいでしょう。

HbA1c値コントロール状態周術期リスク
7%未満良好比較的低い
7〜8%やや不良合併症に注意
8%以上不良感染症や治癒遅延が増加

手術前に内服薬を整理するタイミングと注意点

メトホルミンは腎機能障害や造影剤の使用時に乳酸アシドーシスのリスクがあるため、手術前に休薬するのが一般的です。スルホニル尿素薬も低血糖の原因になりやすく、手術日の朝は内服を控えることが多いでしょう。

DPP-4阻害薬やGLP-1受容体作動薬については、手術当日の扱いが医療機関によって異なる場合もあります。主治医や麻酔科医と事前に相談し、どの薬をいつまで飲んでよいかを確認しておくことが大切です。

1型糖尿病の方は基礎インスリンを途切れさせない

1型糖尿病の方は、体内でインスリンをほとんど作れないため、絶食中でも基礎インスリンの投与を止めてはいけません。基礎インスリンを6時間以上中断すると、糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)を起こす危険性があります。

手術前日の基礎インスリン量は、ふだん食事を抜いたときに低血糖が起きるかどうかを指標に20〜50%の減量を検討します。食事に合わせて打つ速効型インスリンは、絶食の間は中止するのが原則です。

周術期の血糖管理で目指すべき血糖値の目標範囲

140〜180mg/dLが、現在多くのガイドラインで推奨されている周術期の血糖目標です。この範囲は、高血糖による感染リスクと低血糖による重篤な合併症の両方を抑えるバランスポイントとして設定されています。

集中治療室では140〜180mg/dLが推奨される根拠

かつては、集中治療室(ICU)の患者さんに対し、80〜110mg/dLという厳しい血糖目標が提唱されていた時期がありました。

しかし2009年に発表された大規模臨床試験(NICE-SUGAR試験)の結果、厳格すぎる管理は低血糖を頻発させ、死亡率をかえって上げる可能性が示されました。

この知見を受けて、米国糖尿病学会(ADA)と米国臨床内分泌学会(AACE)は、ICU患者の血糖目標を140〜180mg/dLに改定しています。厳格な管理による感染予防効果は認められるものの、安全性の面から現実的な目標設定が必要とされています。

一般病棟での食前血糖値140mg/dL未満という基準

重症ではない一般病棟の患者さんに対しては、食前血糖値140mg/dL未満、随時血糖値180mg/dL未満が推奨されています。この目標は外来での管理目標に近い設定であり、入院中の栄養状態や活動量の変化を考慮しつつ、安全に達成できる範囲とされています。

血糖値が100mg/dLを下回る場合にはインスリン量の見直しを行い、70mg/dL未満の低血糖が起きた場合は速やかに原因を特定して投与量を減量します。

管理環境血糖目標備考
集中治療室(ICU)140〜180mg/dL持続静注インスリンで管理
一般病棟(食前)140mg/dL未満皮下注インスリンで調整
一般病棟(随時)180mg/dL未満補正インスリンを併用

厳しすぎる血糖コントロールが低血糖を招くリスク

血糖値をできるだけ下げればよいというわけではありません。低血糖は、動悸・冷汗・ふるえなどの自律神経症状を引き起こし、重症化すると意識障害やけいれんに至る可能性もあります。

周術期の低血糖は、全身麻酔中や鎮静下では症状が見えにくく、発見が遅れるリスクがあります。安全に血糖を管理するには「下げすぎない」視点も持つことが、合併症予防と同じくらい大切です。

インスリン療法で周術期の血糖を安定させるには

周術期の血糖管理で中心的な役割を果たすのがインスリン療法です。基礎インスリン・食事時インスリン・補正インスリンの3つの要素を組み合わせることで、血糖を目標範囲に保つことができます。

基礎・追加・補正の3つで血糖を調整する仕組み

基礎インスリンは、食事の有無にかかわらず体が必要とする一定量のインスリンを補う長時間作用型の薬剤です。グラルギンやデテミルなどが代表的で、24時間にわたりゆるやかに作用して肝臓からの過剰な糖放出を抑えます。

食事時インスリン(追加インスリン)は食後の血糖上昇を抑えるために食前に投与する速効型で、絶食中は中止します。補正インスリンは目標を超えた血糖値を下げるために追加で投与する速効型インスリンです。

スライディングスケールだけでは管理が追いつかない場合がある

従来、入院中の血糖管理にはスライディングスケール(血糖値に応じたインスリン補正のみ)が広く使われてきました。

しかし近年の臨床試験では、基礎・追加・補正の3要素を組み合わせた「ベーサルボーラス療法」のほうが血糖コントロールの改善と術後合併症の減少に有効であることが示されています。

スライディングスケール単独では「すでに上がった血糖を後追いで下げる」対応になりがちで、血糖の変動幅が大きくなりやすいのが欠点です。

管理方法特徴適する場面
スライディングスケール血糖が上がってから補正軽度の高血糖
ベーサルボーラス療法基礎と追加で先手を打つ中等度以上の高血糖
持続静注インスリン細やかな調整が可能ICU管理や大手術後

持続点滴インスリンが選ばれる手術とその条件

心臓手術後の患者さんや、ICUで管理が必要な重症患者さんには、持続静注によるインスリン投与が推奨されます。静脈からの持続投与は効果の発現が早く、血糖値の変化に応じて点滴速度を細かく調整できるのが強みです。

1型糖尿病の方が絶食する場合や、皮下注インスリンで十分な効果が得られないケース、糖尿病性ケトアシドーシスを起こしている場合にも持続静注が第一選択となります。

低血糖を防ぎながら安全に血糖管理を続けるために

70mg/dL未満の低血糖は、術後の経過を悪化させる独立した危険因子です。血糖を目標範囲に保つには「高血糖を避ける」だけでなく「低血糖を起こさない」ための仕組みづくりが同じくらい大切になります。

低血糖の初期症状を見逃さないための観察ポイント

低血糖が起きると、体はアドレナリンなどのホルモンを放出して血糖を上げようとします。この反応による症状として、手のふるえ、冷汗、動悸、空腹感などがあらわれます。

  • 手指のふるえや冷汗(交感神経症状)
  • 頭がぼんやりする、集中力が落ちる(中枢神経症状)
  • 強い空腹感や脱力感
  • 重症では意識障害やけいれん

全身麻酔中や鎮静薬を使用している場合、これらの自覚症状は隠れてしまいます。術中・術後は定期的な血糖測定によって低血糖を早期に発見することが必要です。

低血糖が起きたときの対処法と院内プロトコル

血糖値が70mg/dL未満になった場合、意識がしっかりしていればブドウ糖15gの経口摂取(ジュースやブドウ糖タブレットなど)が第一選択です。10〜15分後に再度測定し、血糖が100mg/dLを超えたことを確認します。

意識が低下している場合は50%ブドウ糖液25gの静脈内投与を行い、静脈路が確保できないときはグルカゴン1mgの筋肉内注射が代替手段となります。繰り返す低血糖や長時間作用型インスリンが原因の場合は、ブドウ糖の持続点滴を検討する必要があるでしょう。

血糖値のモニタリング頻度はどのくらいが適切か

食事を摂っている患者さんでは、毎食前と就寝前の1日4回の測定が基本です。絶食中の方は4〜6時間ごとの測定が推奨されます。

持続静注インスリンを使用している場合は、開始直後は1〜2時間ごとに測定し、血糖が安定してきたら間隔を広げていきます。頻回な測定は負担に感じるかもしれませんが、適切なタイミングで値を把握することが安全な管理の基盤となります。

退院後も血糖管理を続けることが回復を早める

退院は「治療の終わり」ではなく、「自宅での管理の始まり」でもあります。術後しばらくは体のストレス反応が続くため、退院後の数週間も血糖が不安定になりやすい時期です。

退院前に内服薬やインスリンを再調整するポイント

入院中に中止していた内服薬は、食事が安定して摂れるようになり、追加の処置や検査の予定がなくなった段階で再開を検討します。メトホルミンを再開する際は、腎機能が術前と変わっていないか確認してから処方するのが安全です。

入院中にインスリンを導入した2型糖尿病の方は、退院後に内服薬へ戻せるかどうかを退院前に評価します。退院後の食事量や活動量を踏まえ、低血糖を起こさない用量に調整しておくことが大切です。

食事や運動の再開で血糖値が変動しやすい時期

術後は活動量が低下しているため、通常の食事量でも血糖が上がりやすくなります。一方、回復に伴い活動量が戻ってくると今度は低血糖のリスクに注意が必要です。

退院後1〜2週間は自己血糖測定を続け、食前・食後の血糖パターンを把握しておくと薬剤調整の判断材料になります。体調の変化に応じて柔軟に対応できるよう、記録をつけて主治医に共有することをおすすめします。

  • 退院直後は食前・食後2時間の血糖を毎日記録する
  • 体重の変化や食事量の増減も合わせてメモする
  • 低血糖症状が出たら時刻・状況・対処内容を記録する

かかりつけ医との連携が術後の回復を支える

退院後は、手術を担当した病院だけでなく、糖尿病の管理を日常的に行ってくれるかかりつけ医との連携が大切です。退院時の診療情報提供書には、入院中のインスリン使用量や血糖経過、退院時の処方内容が記載されています。

退院後のチェック項目推奨されるタイミング
かかりつけ医の受診退院後1〜2週間以内
HbA1cの測定退院後1〜3か月
創部の経過確認術後外来の指示に従う

退院後に血糖値が急に上がったり、傷口の赤みや腫れが強くなったりした場合は、自己判断で様子を見ずに早めに医療機関を受診してください。早い段階で対処することで、回復を大きく妨げる合併症を防ぐことができます。

よくある質問

Q
周術期の血糖管理はなぜ糖尿病でない人にも必要なのですか?
A

手術のストレスによって、糖尿病と診断されていない方でも一時的に血糖値が上昇する「ストレス高血糖」が起きることがあります。研究では、非心臓手術を受けた患者さんのうち高血糖を示した方の約3分の1が、糖尿病の既往がなかったと報告されています。

ストレス高血糖であっても、術後の感染症リスクや入院期間の延長、合併症の増加と関連することがわかっています。そのため、糖尿病の有無にかかわらず術中・術後の血糖モニタリングが推奨されています。

Q
周術期の血糖値はどのくらいの範囲に保つのが望ましいですか?
A

集中治療室(ICU)で管理されている患者さんの場合は140〜180mg/dLが目標です。一般病棟では食前血糖値140mg/dL未満、随時血糖値180mg/dL未満が推奨されています。

以前は80〜110mg/dLという厳しい目標が提唱されていましたが、大規模臨床試験の結果、低血糖の増加が死亡率の上昇につながる可能性が示されました。現在は安全性を重視した目標設定が主流です。

Q
周術期にインスリン注射が必要になるのはどのような場合ですか?
A

血糖値が180mg/dLを超える高血糖が持続する場合に、インスリン投与が検討されます。1型糖尿病の方は絶食中も基礎インスリンを継続する必要があり、中止するとケトアシドーシスを起こす危険性があります。

2型糖尿病でふだん内服薬のみの方でも、手術のストレスで血糖が目標を超えた場合は一時的にインスリンを使用することがあります。退院後に内服薬へ戻せるかどうかは、主治医と相談して判断します。

Q
周術期の低血糖にはどのような症状がありますか?
A

血糖値が70mg/dL未満に下がると、手のふるえ、冷汗、動悸、強い空腹感などの自律神経症状があらわれます。さらに低下すると、頭がぼんやりする、集中力が落ちるといった中枢神経症状が出る場合もあります。

全身麻酔中や鎮静下ではこれらの症状に気づきにくいため、定期的な血糖測定が欠かせません。重症の低血糖では意識障害やけいれんに至ることもあるため、医療チーム全体で注意を払う必要があります。

Q
周術期の血糖管理のために患者自身が準備できることはありますか?
A

手術前にHbA1cの値を確認し、主治医と相談して血糖コントロールを可能な限り改善しておくことが大切です。内服薬やインスリンの種類・用量を正確に把握し、手術を行う医療チームに伝えられるよう準備しておきましょう。

退院後は自己血糖測定を続け、食事量や活動量の変化に注意しながら記録をつけてください。気になる症状があれば自己判断で様子を見ず、早めにかかりつけ医を受診することが術後の順調な回復につながります。

参考にした文献