2型糖尿病の治療で飲み薬を続けている方の中には、「いつかは自分もインスリン注射が必要になるのだろうか」「インスリン治療は最後の手段なのでは」といった不安をお持ちの方も少なくないでしょう。

しかしインスリン治療は決して特別なものではなく、血糖値を良好にコントロールし、将来の合併症を防ぐための非常に有効な治療選択肢の一つです。

この記事では2型糖尿病(インスリン非依存型糖尿病)の方がインスリン治療を開始する適切なタイミングや目安、具体的な適応基準について専門医が詳しく解説します。

2型糖尿病とインスリンの関係

インスリン治療を理解するためには、まず2型糖尿病の体の状態で何が起きているのかを知ることが大切です。

2型糖尿病(インスリン非依存型)とは

2型糖尿病は遺伝的な要因に肥満や運動不足、過食といった生活習慣が加わることで発症します。

インスリンが全く出なくなる1型糖尿病とは異なり、「インスリンの分泌量が減る(インスリン分泌不全)」または「インスリンの効きが悪くなる(インスリン抵抗性)」あるいはその両方が原因で、血糖値が高い状態が続きます。

「インスリン非依存型」とは生命維持のためにインスリン注射が必須ではない状態を指しますが、治療のためにインスリン注射が必要になることは多くあります。

インスリンの働きと2つの問題点

2型糖尿病では血糖値を下げるインスリンの働きに2つの問題が生じます。

一つは食事で血糖値が上がっても膵臓から十分な量のインスリンが分泌されなくなること。

もう一つは、インスリンが分泌されても肥満などが原因でその効果が十分に発揮されなくなることです。

2型糖尿病におけるインスリンの問題

問題点体の状態
インスリン分泌不全膵臓が疲弊し、インスリンを出す力が弱まっている
インスリン抵抗性インスリンは出ているが、効きが悪くなっている

なぜ飲み薬だけでは不十分になるのか

糖尿病の飲み薬にはインスリンの分泌を促す薬やインスリンの効きを良くする薬など様々な種類があります。

治療初期はこれらの薬で良好な血糖コントロールが可能でも、病状が進行すると膵臓のインスリン分泌能力そのものがさらに低下していきます。

そうなると飲み薬だけでインスリンの不足を補うことが難しくなり、血糖値が十分に下がらなくなってきます。

膵臓を休ませるという考え方

インスリン分泌を促す薬を使い続けることは、疲弊している膵臓に鞭を打って無理やりインスリンを出させているような状態とも言えます。

この状態が長く続くと、膵臓はさらに疲れてしまいます。

適切なタイミングでインスリン治療を開始することは、不足分を外から補い、膵臓を休ませてあげるという意味合いも持つのです。

インスリン治療は「最終手段」ではない

インスリン注射に対して、「重症」「末期」といったネガティブなイメージを持つ方がいますが、それは大きな誤解です。

インスリン治療に対するよくある誤解

「一度始めたらやめられない」「注射が痛くて大変そう」といったイメージから、インスリン治療に抵抗を感じる方は少なくありません。

しかし、現在のインスリン治療は、より安全で簡便に行えるように大きく進歩しています。

最終手段として追い込まれてから始めるのではなく、必要な時にためらわずに始めることが大切です。

早期導入のメリット

血糖コントロールが悪い状態を放置せず、適切なタイミングでインスリン治療を始めることには多くのメリットがあります。

高血糖による体への負担を速やかに取り除き、膵臓の機能を保護し、合併症のリスクを減らすことができます。

インスリン治療を早期に始めるメリット

  • 確実な血糖降下作用により、速やかに目標値を達成できる
  • 高血糖による倦怠感などの自覚症状が改善する
  • 膵臓の負担を軽減し、インスリン分泌能を温存できる
  • 合併症の発症・進行リスクを低減できる

合併症の進行を防ぐ最も確実な方法

インスリンは体内で血糖値を下げる唯一のホルモンです。そのインスリンを直接補充するインスリン治療は、最も生理的で確実な血糖降下療法と言えます。

飲み薬でコントロールが難しい高血糖を放置することは、合併症のリスクを高めるだけです。インスリン治療は合併症を防ぐための強力な選択肢なのです。

インスリン治療を開始する具体的な目安

では、具体的にどのような状態になったらインスリン治療の開始を検討するのでしょうか。

飲み薬を複数使っても血糖値が高い時

作用の異なる複数の経口血糖降下薬を最大量まで使っても血糖コントロールの目標を達成できない場合は、インスリン治療への移行を強く検討します。

これは、飲み薬だけでは体内のインスリン不足を補いきれていない明確なサインです。

HbA1cの数値から見る開始基準

明確な数値基準があるわけではありませんが、一般的に適切な食事療法・運動療法と経口薬治療を行っても、HbA1cが7.0%未満の目標を達成できないケースです。

具体的には8.0%や8.5%以上といった高い値が続く場合は、インスリン治療の良い適応となります。

HbA1c値と治療方針の目安

HbA1c値(%)考えられる治療方針
7.0未満良好なコントロール(治療継続)
7.0~8.0治療法の強化を検討(薬剤の変更・追加など)
8.0以上インスリン治療の導入を積極的に検討

高血糖によるつらい症状がある場合

喉の渇き、多飲、多尿、体重減少、全身の倦怠感といった高血糖による症状が明らかな場合も、インスリン治療を始めるべきタイミングです。

これらの症状は体がインスリン不足に悲鳴を上げているサインであり、インスリンを補充することで速やかに改善が期待できます。

インスリン治療が特に必要となるケース

慢性的な血糖コントロール不良以外にも、一時的あるいは緊急的にインスリン治療が必要となる状況があります。

重い感染症や手術の前後

肺炎などの重い感染症にかかったり、大きな手術を受けたりすると体は強いストレス状態となり、血糖値が急激に上昇します。

このような状況では一時的に飲み薬を中止し、インスリンで厳密な血糖管理を行う必要があります。

妊娠中や授乳中

妊娠中の高血糖は母体だけでなく胎児にも大きな影響を及ぼします。

妊娠糖尿病や糖尿病合併妊娠では安全かつ厳格な血糖コントロールのためにインスリン治療が第一選択となります。多くの経口薬は妊娠・授乳中は使用できません。

著しい高血糖(糖毒性)の状態

発見時に血糖値が極めて高い場合(例:空腹時血糖250mg/dL以上、随時血糖350mg/dL以上)、高血糖そのものがインスリンの分泌や働きを悪くする「糖毒性」という状態に陥っています。

この場合は、まずインスリン治療で速やかに高血糖を改善し、糖毒性を解除することが最優先されます。

この治療により膵臓の機能が回復し、後に飲み薬へ変更できることもあります。

腎臓や肝臓の機能が低下している場合

多くの飲み薬は腎臓や肝臓で代謝・排泄されます。そのため、これらの機能が低下している患者さんでは使用できる飲み薬が限られたり、副作用が出やすくなったりします。

インスリンはこのような場合でも比較的安全に使用できる治療法です。

2型糖尿病で使われるインスリン治療の種類

2型糖尿病のインスリン治療は患者さんの状態に合わせて、様々な方法から選択します。

基礎インスリンのみを補充する方法(BOT)

BOT(Basal-supported Oral Therapy)は飲み薬を続けながら、1日1回持効型インスリン(基礎インスリン)を注射する方法です。

1日のベースとなるインスリンを補い、主に空腹時血糖値を下げることを目的とします。注射回数が少なく、導入しやすいのが特徴です。

混合型インスリンを1日1〜2回注射する方法

基礎インスリンと食後の血糖上昇を抑える追加インスリンを、あらかじめ一定の割合で混ぜた製剤です。

朝食前や朝・夕食前の1日2回の注射で、1日を通した血糖コントロールを目指します。生活リズムが一定の方に向いています。

毎食前に注射する強化インスリン療法

1日1回の基礎インスリン注射に加えて、毎食前に追加インスリンを注射する方法です。

健康な人のインスリン分泌パターンに最も近く、柔軟な血糖コントロールが可能ですが、注射回数が多くなります。1型糖尿病では標準的な治療法です。

主なインスリン治療法の比較

治療法1日の注射回数特徴
BOT1回導入しやすく、飲み薬と併用する
混合型インスリン療法1~2回基礎と追加の両方を補えるが、食事時間の固定が必要
強化インスリン療法4回程度最も生理的で柔軟なコントロールが可能

インスリン治療の開始から安定まで

インスリン治療を始めるにあたっての流れと、知っておくべきことを説明します。

入院は必要?外来での導入

かつては入院してインスリン導入を行うのが一般的でしたが、現在は多くのケースで外来通院しながら治療を開始することが可能です。

仕事や家庭の事情で入院が難しい方でも、安心して始めることができます。

自己注射と血糖測定の指導

クリニックでは医師や看護師がインスリン注射器の使い方や、正しい注射手技について丁寧に指導します。

また、安全に治療を進めるために、ご自身で血糖値を測定する方法(自己血糖測定)も学びます。最初は不安に思うかもしれませんが、ほとんどの方がすぐに慣れます。

低血糖への対処法を学ぶ

インスリン治療で最も注意すべき副作用が低血糖です。

低血糖の症状(冷や汗、動悸、手の震えなど)や起きた時の対処法(ブドウ糖の摂取など)について、ご本人だけでなく、ご家族にもしっかりと理解していただくことが重要です。

よくある質問

インスリン治療に関して、患者様からよくいただくご質問にお答えします。

Q
インスリン治療は一度始めたらやめられませんか?
A

必ずしもそうとは限りません。

例えば糖毒性の解除のために一時的にインスリンを使用した場合、血糖コントロールが改善すれば飲み薬に戻せることもあります。

また、その後の生活習慣の改善によって体重が減少し、インスリンが不要になるケースもあります。ただし多くの場合、低下した膵臓の機能を補うために継続が必要となります。

Q
注射は痛いですか?
A

現在の注射針は極めて細く短く作られており、痛みを感じにくいように工夫されています。多くの方が「思ったより痛くなかった」「蚊に刺される程度」と感じています。

正しい手技で行えば痛みは最小限に抑えられます。

Q
体重は増えますか?
A

インスリンには体内にエネルギーを蓄える働きがあるため、治療開始後に体重が増加することがあります。

これは、これまで尿中に捨てられていた糖がエネルギーとして有効利用されるようになるためでもあります。

食事療法や運動療法をきちんと続けることが体重管理の上で重要です。

Q
旅行や外出はできますか?
A

もちろん可能です。インスリン製剤や注射針はコンパクトで持ち運びが容易です。

旅行の計画を立てる際には時差や食事内容の変化などにどう対応するか事前に主治医に相談しておくと、より安心して楽しむことができます。

以上

参考にした論文

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