インスリン治療を始めたばかりの方や、長年続けている方でも「インスリンを打つタイミングは本当にこれで合っているのだろうか」「食後に打つのはだめなのか」「もし打ち忘れたらどうしよう」といった疑問や不安を感じることは少なくありません。
インスリン治療において、注射のタイミングは血糖コントロールの質を左右する非常に重要な要素です。
この記事ではインスリンの種類ごとの正しい注射タイミングや食後に打つ場合の注意点、そして万が一打ち忘れた時の具体的な対処法まで、専門医が詳しく解説します。
なぜインスリンを打つタイミングが重要なのか
インスリン治療の効果を最大限に引き出し、安全に行うためには、注射のタイミングを正しく理解することが第一歩です。
血糖値とインスリンの基本的な関係
食事を摂ると食べ物に含まれる糖質がブドウ糖となって血液中に吸収され、血糖値が上昇します。インスリンはこの上昇した血糖値を下げる働きを持つ唯一のホルモンです。
インスリン治療は不足しているインスリンを体外から補うことで、この血糖値のコントロールを助けます。
食後の血糖値の自然な動き
健康な人の体では食事による血糖値の上昇を予測して、膵臓から適切なタイミングでインスリンが分泌されます。
この働きにより、食後の血糖値は急激に上がりすぎることなく緩やかにピークを迎え、数時間後には元の値に戻ります。
インスリン治療はこの自然な体の働きをできるだけ再現することを目指します。
タイミングがずれると起こること
注射のタイミングが食事や体の状態と合わないと、高血糖や低血糖を引き起こす原因になります。
例えばインスリンの効果が出る前に血糖値が上がりきってしまうと「食後高血糖」に、逆に食事の前にインスリンが効きすぎてしまうと「低血糖」に陥ります。
この血糖値の乱高下を避けるためにタイミングが重要なのです。
タイミングのズレによる影響
ズレのパターン | 起こりうること | 主な症状 |
---|---|---|
注射が早すぎる | 食前の低血糖 | 強い空腹感、冷や汗、手の震え |
注射が遅すぎる | 食後の高血糖 | 喉の渇き、だるさ、眠気 |
インスリンの種類と作用時間の違い
インスリン製剤には様々な種類があり、それぞれ効果が現れるまでの時間や作用が持続する時間が異なります。
ご自身が使っているインスリンの特徴を知ることが大切です。
食後の血糖上昇を抑える「追加インスリン」
毎回の食事による血糖値の上昇に対応するために注射するインスリンです。「超速効型」や「速効型」がこれにあたります。
食事のタイミングに合わせて注射するため、ボーラスインスリンとも呼ばれます。
1日を通して血糖値を安定させる「基礎インスリン」
食事をしていない時間帯や睡眠中にも体は常に少量のインスリンを必要としています。この基礎的なインスリン分泌を補うのが基礎インスリンです。
「持効型溶解」や「中間型」がこれにあたり、ベーサルインスリンとも呼ばれます。通常1日に1回または2回、決まった時間に注射します。
インスリン製剤の主な種類と作用
種類 | 主な役割 | 代表的な商品名 |
---|---|---|
超速効型 | 食後の血糖上昇を素早く抑える | ノボラピッド、ヒューマログ、ルムジェブ |
速効型 | 食後の血糖上昇を抑える | ノボリンR、ヒューマリンR |
持効型溶解 | 1日の基礎的なインスリンを補う | ランタス、レベミル、トレシーバ |
【種類別】インスリンを打つ正しいタイミング
インスリンの種類によって、注射するべき最適なタイミングは異なります。
超速効型インスリンのタイミング
効果が非常に速く現れるため、食事の直前(15分以内)に注射するのが基本です。「いただきます」の直前、あるいは食事のメニューを見てから注射するイメージです。
このタイミングで打つことで、食事による血糖値の上昇とインスリンの効果のピークを合わせることができます。
速効型インスリンのタイミング
超速効型よりも効果の発現が少し緩やかなため、食事の30分前に注射します。
注射してから食事までの時間が空きすぎると食前に低血糖を起こす危険があるため、時間管理が重要です。
持効型(基礎)インスリンのタイミング
食事の有無に関わらず、1日を通して安定した効果を発揮するインスリンです。このため、毎日なるべく同じ時間に注射することが大切です。
食事のタイミングに合わせる必要はなく、ご自身の生活リズムに合わせて朝や就寝前など忘れにくい時間を主治医と相談して決めます。
インスリンの種類別 注射タイミングの目安
インスリンの種類 | 注射タイミング | ポイント |
---|---|---|
超速効型 | 食事の直前(15分以内) | 食事内容を確認してから打てる |
速効型 | 食事の30分前 | 注射と食事の間の時間管理が重要 |
持効型溶解 | 毎日決まった時間 | 食事の時間とは関係ない |
なぜ「食前」の注射が基本なのか
追加インスリンの多くが「食前」に注射するのは、体の自然なインスリン分泌を再現し、食後の血糖値を効率よくコントロールするためです。
食後の急激な血糖上昇に備える
食事を始めると血糖値はすぐに上昇し始めます。
インスリンを食前に打っておくことで血糖値が上がり始めるのとほぼ同時にインスリンも効き始め、急激な血糖値の上昇(血糖値スパイク)を防ぐことができます。
インスリンの効果発現時間
注射したインスリンが血液中に吸収され、効果を発揮し始めるまでには、どうしてもタイムラグが生じます。超速効型でも10~15分程度かかります。
この時間を考慮して食前に注射することで、インスリンの効果の山と血糖値の山をうまく重ね合わせることができるのです。
食後の注射では効果が追いつかない
もし食事が終わってからインスリンを打つと、血糖値がすでにピークに達した後に遅れてインスリンが効き始めることになります。
その結果、インスリンの効果が追いつかずに高血糖の状態が長引き、その後に血糖値が下がりすぎて低血糖になるという、血糖値の乱高下を招きやすくなります。
例外的に「食後」にインスリンを打つケース
基本は食前注射ですが、患者様の状況によっては、あえて食後に注射する方が安全な場合もあります。
食事の量が予測できない時
小さなお子様や高齢の方、体調不良で食欲がない時など、どのくらい食べられるか分からない場合があります。
このような時に食前にインスリンを打ってしまうと、思ったより食べられなかった場合に低血糖を起こすリスクが高まります。
そのため、実際に食べた量を確認してから、それに見合った量のインスリンを食後に打つという方法をとることがあります。
胃腸の調子が悪い時(胃不全麻痺など)
糖尿病の合併症である自律神経障害などにより、胃の動きが悪くなっている(胃不全麻痺)場合、食べ物の消化吸収が通常より大幅に遅れることがあります。
このような方が食前にインスリンを打つと食べ物がまだ吸収されていないのにインスリンだけが効いてしまい、低血糖になる可能性があります。
食後の血糖値の様子を見ながら注射する方が安全な場合があります。
食後に打てる超速効型インスリン
最近では従来のものよりさらに効果の発現が速い超速効型インスリン(ルムジェブなど)も登場しています。
これらの薬は食事の直前だけでなく、食事を開始してから20分以内であれば食後に注射することも可能です。食後に打つことが多い方にとって治療の選択肢が広がっています。
食後注射を検討する主なケース
- 乳幼児や高齢者で食事量が不安定な場合
- 食欲不振や吐き気がある時
- 胃の動きが悪く、消化に時間がかかる場合
うっかり打ち忘れた時の正しい対処法
毎日気をつけていても、インスリンを打ち忘れてしまうことは誰にでも起こり得ます。慌てず正しく対処することが大切です。
まずは落ち着いて血糖値を測定
打ち忘れに気づいたら、まずは現在の血糖値を確認しましょう。血糖値がどのくらいかによって、その後の対応が変わってきます。
追加インスリン(超速効型・速効型)の打ち忘れ
食事の直後など、すぐに気づいた場合は食後の血糖値の上昇を抑えるために、通常の量あるいは少し減らした量を注射できることがあります。
しかし、次の食事までの時間が短い場合や、すでに食後2時間以上経過している場合は注射すると次の食事前に低血糖を起こす危険があります。
このような場合はその回の注射は行わず、次の食事前の注射で対応するのが一般的です。
追加インスリンを打ち忘れた時の対応例
気づいたタイミング | 対応の基本 | 注意点 |
---|---|---|
食後すぐ | 血糖値を確認し、主治医の指示通りの量を注射 | 次の食事前の低血糖に注意 |
食後2時間以上経過 | その回の注射はせず、次の食事前から通常通り再開 | 高血糖が続く場合は補正うちを検討 |
基礎インスリン(持効型)の打ち忘れ
基礎インスリンの打ち忘れに気づいた時の対応は薬の種類やいつもの注射時間からの経過時間によって異なります。
例えばトレシーバのような作用時間の非常に長いインスリンであれば、8時間以上の間隔をあければ気づいた時点で注射し、その後はいつもの時間に戻していくという方法があります。
自己判断せず、必ず主治医や薬剤師に確認してください。
絶対にやってはいけないこと
打ち忘れたからといって、2回分の量を一度に注射することは絶対にやめてください。重篤な低血糖を引き起こし、命に関わる危険があります。
また、どうすれば良いか分からずに不安なまま放置するのも避けましょう。迷った時は必ず医療機関に連絡して指示を仰いでください。
よくある質問
インスリンのタイミングについて、患者さんからよくいただくご質問にお答えします。
- Q持効型インスリンは、なぜ毎日同じ時間に打つのですか?
- A
持効型インスリンは24時間にわたって体内の基礎インスリンのレベルを一定に保つことを目的としています。
毎日同じ時間に注射することでインスリンの血中濃度が安定し、日内や日々の血糖変動を小さくすることができます。
注射時間がずれるとインスリン濃度が重なったり途切れたりして血糖値が不安定になる原因となります。
- Q食事をしない時もインスリンは必要ですか?
- A
はい、必要です。
食事を摂らなくても肝臓からは常にブドウ糖が放出されており、血糖値を維持しています。
この基礎的な血糖値をコントロールするために、基礎インスリン(持効型など)の注射は食事の有無に関わらず、毎日欠かさず行う必要があります。
ただし食事を摂らない場合は食後の血糖上昇を抑えるための追加インスリン(超速効型など)は不要です。
- Q注射の量を自己判断で変えても良いですか?
- A
血糖値の変動に応じてインスリン量を微調整する「インスリンカーボ比」や「補正インスリン」といった方法を医師の指導のもとで行っている場合は、そのルールに従って調整します。
しかし、そのような指導を受けていない方が、自己判断で安易に注射量を変えるのは危険です。特に量を増やす場合は低血糖のリスクが高まります。
量の調整については必ず主治医と相談してください。
- Q食前に打ちましたが、急用で食事ができませんでした
- A
これは低血糖のリスクが非常に高い状況です。可能であればブドウ糖やジュース、おにぎりなど、すぐに糖質を補給できるものを摂取してください。
それが難しい場合は頻繁に血糖値を測定し、低血糖の症状に注意しながら過ごす必要があります。
事前に食事ができない可能性が分かっている場合はインスリンを打たない、あるいは量を減らすなどの対応が必要です。
このような時の対処法も、あらかじめ主治医と相談しておきましょう。
以上
参考にした論文
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