糖尿病治療で「インスリン注射」が必要と診断され、ご自身で注射を打つことに大きな不安を感じていませんか。「痛そう」「自分にできるだろうか」と心配になるのは当然のことです。
しかし、正しい手順と少しのコツを知るだけで、痛みや不安は大きく和らげることができます。
この記事ではインスリン自己注射の基本的な流れから、痛みを軽減する具体的な工夫、注射部位の選び方、そして起こりうるトラブルの対処法まで初めての方でも安心して取り組めるように詳しく解説します。
正しい知識はあなたの一番の味方です。
なぜインスリン自己注射が必要なのか
インスリン自己注射は糖尿病治療において血糖値を良好にコントロールするための重要な手段です。まずは、その必要性と基本的な役割を理解しましょう。
糖尿病治療におけるインスリンの役割
インスリンは膵臓から分泌されるホルモンで、血液中のブドウ糖を細胞に取り込んでエネルギーとして利用したり、肝臓や筋肉に蓄えたりする働きを担います。
このインスリンの作用が不足すると血糖値が高い状態が続き、様々な合併症を引き起こします。
インスリン注射は、不足したインスリンを体の外から直接補うことで血糖値を正常範囲に近づける治療法です。
自己注射で血糖値をコントロールする
インスリンはたんぱく質の一種であるため、飲み薬にすると胃酸で分解されてしまいます。そのため、皮下に直接注射して体内に吸収させる必要があります。
食事の時間や内容、活動量に合わせてインスリン量を調整しながら自己注射を行うことで健康な人のインスリン分泌に近い状態を再現し、日々の血糖変動を安定させます。
注射が必要になる主な糖尿病のタイプ
インスリン注射が必須となるのは、主に1型糖尿病の患者さんです。
2型糖尿病の患者さんでも、飲み薬だけでは血糖コントロールが不十分な場合や、他の病気(シックデイ)で血糖値が著しく上昇した場合などにインスリン注射を開始することがあります。
インスリン注射が必要となる主なケース
糖尿病のタイプ | インスリン注射の位置づけ | 主な理由 |
---|---|---|
1型糖尿病 | 必須の治療 | 体内でインスリンをほとんど作れないため |
2型糖尿病 | 必要に応じて導入 | 飲み薬で効果不十分、膵臓の疲弊など |
その他 | 一時的に導入 | 妊娠糖尿病、手術前後、重い感染症など |
インスリン自己注射の基本的な流れ
自己注射の一連の流れを理解し、習慣化することが大切です。毎回同じ手順で行うことでミスを防ぎ、安全に治療を続けられます。
注射前の準備(物品の確認と消毒)
注射を始める前に必要な物品がすべて揃っているか確認します。インスリン製剤、ペン型注入器、注射針、そして消毒用のアルコール綿を用意しましょう。
準備ができたら、まず石鹸で手をきれいに洗い、注射する部位をアルコール綿で消毒します。
正しいインスリンの単位設定
医師から指示された単位数を、ペン型注入器のダイヤルを回して正確に設定します。単位を間違えると高血糖や低血糖の原因となるため、声に出して確認するなど、慎重に行いましょう。
設定後、ペン先にインスリンのしずくが見えるかを確認する「空打ち」を指示通りに行い、針が詰まっていないか、正常に薬が出るかを確認します。
注射前の確認リスト
確認項目 | ポイント |
---|---|
インスリンの種類 | 処方された製剤と間違いないか(特に複数使用時) |
注射単位 | 医師の指示通りの単位数かダイヤルを確認 |
注射部位 | 消毒し、前回の注射部位とずらして選ぶ |
注射の手順と注意点
消毒した部位の皮膚を軽くつまみ、皮膚に対して垂直に針を刺します。針が完全に刺さったら、注入ボタンをゆっくりと最後まで押し込みます。
注入後すぐに針を抜くと薬液が漏れることがあるため、数秒から10秒程度そのまま待ち、その後ゆっくりと針を抜きます。
注射後は、揉まずに軽く押さえるだけにします。
痛みを和らげる注射のコツ
注射の痛みをゼロにすることは難しいですが、いくつかの工夫で大幅に軽減させることが可能です。自分に合った方法を見つけましょう。
注射針を正しく選ぶ
現在、自己注射用の針は非常に細く短くなっています。針が細く短いほど痛みは感じにくくなります。医師と相談し、ご自身の体型に合った、できるだけ細く短い針(例:32G~34G、4mm~6mm)を選択することが痛みの軽減につながります。
注射部位の選び方とローテーション
お腹や太ももなど脂肪が比較的厚い場所は痛みを感じにくいとされています。また、毎回同じ場所に注射すると皮膚が硬くなり(硬結)、痛みの原因やインスリンの吸収不良につながります。
前回の注射部位から2~3cmずらす「ローテーション」を必ず守りましょう。
痛くない刺し方の工夫
針を刺す際に、ためらわずに一気に刺すことが、かえって痛みを少なくするコツです。
また、注射器を持つ手とは反対の手で、注射部位の近くの皮膚を軽く叩いたりつまんだりして刺激を与えてから刺すと、痛覚が紛れて感じにくくなることがあります。
痛みを軽減する工夫のまとめ
工夫の種類 | 具体的な方法 |
---|---|
物理的な工夫 | 細く短い針を使う、脂肪の多い部位を選ぶ |
手技の工夫 | 迷わず一気に刺す、皮膚をつまむ |
心理的な工夫 | リラックスする、好きな音楽を聴く |
精神的な不安を軽減する方法
「痛い」と思うと、体は無意識に緊張し、余計に痛みを感じやすくなります。注射の前に深呼吸をしてリラックスしたり、好きな音楽を聴きながら行ったりするのも有効です。
注射という行為に集中しすぎず、日課のひとつとして淡々とこなす意識を持つことも大切です。
正しい注射部位の選び方
インスリンは皮下脂肪に注射することで効果が安定して現れます。注射する部位によって吸収速度が異なるため、特徴を理解して使い分けることが重要です。
主な注射部位(腹部・腕・太もも・お尻)
主な注射部位は腹部(おへその周りを避ける)、腕(上腕の外側)、太もも(外側)、お尻です。
これらの部位は皮下脂肪が豊富で、大きな血管や神経が少ないため安全に注射できます。
- 腹部:最も吸収が速く、安定している
- 上腕:腹部よりやや遅い
- 太もも:吸収が比較的遅い
- お尻:最も吸収が遅い
各部位の特徴と吸収速度の違い
インスリンの吸収速度は腹部が最も速く、次いで上腕、太もも、お尻の順に遅くなります。
この特性を利用し、食事にすぐ合わせたい超速効型インスリンは腹部に、ゆっくり効かせたい持効型インスリンは太ももやお尻に注射するといった使い分けを医師から指示されることがあります。
注射部位とインスリン吸収速度
注射部位 | 吸収速度 | 適したインスリン(例) |
---|---|---|
腹部 | 速い | 超速効型、速効型 |
上腕 | やや速い | 超速効型、速効型 |
太もも・お尻 | 遅い | 持効型、中間型 |
注射部位のローテーションの重要性
同じ場所に注射を繰り返すと、その部分の皮下脂肪が硬くなったり(硬結)、逆に減ってしまったりすることがあります。
硬くなった場所に注射してもインスリンが正常に吸収されず、血糖コントロールが不安定になる原因となります。
注射部位は、毎回指2~3本分ずらすことを徹底しましょう。
インスリン製剤の管理と保管方法
インスリンは温度変化に弱い薬です。品質を保つために正しい保管方法を守ることが治療効果を維持する上で重要です。
未使用のインスリンの保管場所
まだ使っていないインスリン製剤は凍結を避け、冷蔵庫(2~8℃)で保管します。
ドアポケットは開閉による温度変化が大きいため、冷蔵庫の中ほどに置くのが望ましいです。絶対に凍らせないように注意してください。
使用中のインスリンの取り扱い
現在使用中のインスリン製剤は、室温(1~30℃)で保管できます。冷蔵庫から出してすぐの冷たいインスリンを注射すると痛みを感じやすいため、室温保管の方が痛みの軽減につながります。
ただし、直射日光が当たる場所や高温になる車内などには放置しないでください。
インスリンの保管温度
状態 | 保管場所 | 温度の目安 |
---|---|---|
未使用 | 冷蔵庫(凍結しない場所) | 2~8℃ |
使用中 | 室温(直射日光や高温を避ける) | 1~30℃ |
旅行や外出時の持ち運び方
旅行などでインスリンを持ち運ぶ際は専用の保冷機能付きポーチなどを利用すると便利です。特に夏場の車内や冬場の屋外など、極端な温度変化にさらされないように注意が必要です。
飛行機に乗る際はインスリンや注射器は預け荷物に入れず、必ず手荷物として機内に持ち込みます。
自己注射で起こりうるトラブルと対処法
注意していても、時にはトラブルが起こることがあります。慌てずに対処できるよう事前に知識を持っておきましょう。
皮下硬結(しこり)ができた場合
注射部位にしこり(硬結)ができてしまったら、その場所が柔らかくなるまで注射するのをやめ、他の部位に注射します。
硬結を予防するためにも日頃からのローテーションが最も重要です。
注射後に液が漏れてきた場合
針を抜いた後に薬液が少し漏れてきても、慌てて追加で注射する必要はありません。ほとんどの場合ごく少量であり、血糖値に大きな影響はありません。
次からは、針を刺したまま待つ時間を少し長くするなどの工夫をしてみましょう。
針を刺したまま折れてしまった場合
非常に稀ですが、針が体内で折れてしまう可能性もゼロではありません。もし針が折れて皮膚から針の先端が見えている場合は毛抜きなどで静かに抜き取ります。
完全にもぐってしまった場合は無理に自分で取ろうとせず、速やかに医療機関を受診してください。
自己注射の軽微なトラブル対処法
トラブル | 対処法 | 予防策 |
---|---|---|
内出血 | 数日で自然に消える。様子を見る。 | 血管を避けて注射する |
液漏れ | 追加注射は不要。軽く押さえる。 | 注入後、数秒待ってから針を抜く |
硬結 | その部位への注射を休む。 | 注射部位を毎回ローテーションする |
よくある質問(Q&A)
最後に、インスリン自己注射に関して患者さんからよく寄せられる質問にお答えします。
- Q注射を忘れた場合はどうすれば良いですか?
- A
インスリンの種類や忘れた時間によって対処法が異なります。自己判断で対応せず、必ず主治医や医療機関に連絡して指示を仰いでください。
思い出したからといって、2回分を一度に注射することは絶対にしないでください。
- Q家族に注射を打ってもらうことはできますか?
- A
原則として自己注射は患者さん本人が行うものです。
ただし、ご高齢の方や体に麻痺がある、目が見えにくいなど自分で注射するのが困難な場合は、適切な指導を受けた上でご家族が注射を行うことも可能です。
希望する場合は医師にご相談ください。
- Q飛行機にインスリンを持ち込めますか?
- A
はい、持ち込めます。インスリン製剤や注射器、針、血糖測定器などは医療機器として扱われます。
保安検査でスムーズに通過するために、糖尿病患者であることを証明する書類(英文の診断書など)を携帯しておくと安心です。
前述の通りインスリンは必ず手荷物にしてください。
- Q注射器や針の廃棄方法は?
- A
使用済みの注射針は、一般のゴミとして捨てることはできません。
感染性廃棄物として、安全に廃棄する必要があります。処方された薬局や医療機関に持ち込み、専用の容器で回収してもらいます。
自治体によってルールが異なる場合もあるため、必ず医療機関の指示に従ってください。
以上
参考にした論文
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