インスリン療法を行っている方にとって、注射部位の選択は血糖コントロールに大きく影響する重要な要素です。
注射する場所によってインスリンの吸収される速さが異なり、それが血糖値の変動につながることがあります。また、毎回同じ場所に注射を続けると、皮膚が硬くなるなどのトラブルも起こりえます。
この記事では適切なインスリン注射部位の選び方、部位ごとの吸収速度の違い、そして安全で効果的な注射のための注意点について詳しく解説します。
なぜインスリン注射部位の選択が重要なのか
インスリン注射の効果を最大限に引き出し、安定した血糖コントロールを得るためには注射部位の選択が鍵となります。その理由を具体的に見ていきましょう。
血糖コントロールへの直接的な影響
インスリンは皮下脂肪組織に注射し、そこから毛細血管を通って血液中に吸収されます。
注射した場所の皮下脂肪の厚さや血流の量によってインスリンが吸収される速さが変わります。
吸収速度が異なるとインスリンの効果が現れる時間や持続時間も変化し、結果として血糖値の変動パターンに影響を与えます。
吸収速度の違いによる効果の変動
例えば吸収が速い部位に注射した場合、インスリンの効果は早く現れますが、持続時間は短くなる傾向があります。
逆に吸収が遅い部位では、効果が現れるまでに時間がかかりますが、より長く作用します。
使用しているインスリンの種類(超速効型、速効型、中間型、持効型溶解など)と注射部位の吸収速度を考慮しないと、予期せぬ高血糖や低血糖を招く可能性があります。
皮膚トラブル(リポハイパートロフィー)の予防
毎回同じ場所にインスリン注射を繰り返すと、その部分の皮下脂肪が硬くなったり、しこりのようになったりすることがあります。これを「リポハイパートロフィー」または「インスリンボール」と呼びます。
硬くなった部分に注射を続けるとインスリンの吸収が不安定になり、血糖コントロールが悪化する原因となります。
注射部位を適切にローテーション(毎回場所を変えること)することが、リポハイパートロフィーの予防に重要です。
注射部位選択の重要ポイント
ポイント | 理由 | 対策 |
---|---|---|
吸収速度の考慮 | 血糖変動への影響 | インスリン種類と部位を合わせる |
リポハイパートロフィー予防 | 吸収不良・血糖悪化の原因 | 注射部位のローテーション |
安全性確保 | 神経・血管損傷リスク回避 | 適切な部位・深さへの注射 |
安全な注射のための部位選び
注射部位によっては太い血管や神経が近くを通っている場合があります。
不適切な場所に注射すると痛みを感じたり、内出血を起こしたり、まれに神経を傷つけたりするリスクがあります。安全に注射できる推奨部位を選ぶことが大切です。
推奨されるインスリン注射部位
インスリン注射に適した部位は皮下脂肪が十分にあり、日常的な動作で動きが少なく、大きな血管や神経から離れている場所です。
主に以下の4つの部位が推奨されます。
腹部(お腹)
腹部は皮下脂肪が厚く、面積も広いため、注射部位をローテーションしやすいという利点があります。
インスリンの吸収速度が最も速く、かつ安定しているため、特に超速効型や速効型インスリンの注射に適しています。
おへその周り5cm程度は避けて注射します。
上腕(腕の外側)
上腕の外側(肩先と肘の中間あたり)も注射部位として用いられます。腹部に次いで吸収速度が速いとされています。
ただし、自分で注射する場合は皮膚をつまみにくく、筋肉注射になりやすい点に注意が必要です。脂肪が少ない方は特に気をつけましょう。
大腿(太もも)
大腿部の前側や外側も注射に適した部位です。面積が広くローテーションしやすいですが、インスリンの吸収速度は腹部や上腕に比べて遅くなります。
中間型や持効型溶解インスリンの注射に適している場合があります。歩行などの運動により吸収が促進されることがあります。
臀部(お尻)
臀部の上部外側(ベルトのラインより少し下)は皮下脂肪が厚く、インスリンの吸収速度が最も遅い部位です。
持効型溶解インスリンなど、ゆっくりと効果を発揮させたい場合に選択されることがあります。
自分では見えにくく注射しにくいのが難点です。
主なインスリン注射推奨部位
- 腹部
- 上腕
- 大腿
- 臀部
注射部位によるインスリン吸収速度の違い
インスリンの効果を予測し、安定した血糖コントロールを目指す上で、注射部位による吸収速度の違いを理解しておくことは非常に重要です。
吸収速度の一般的な順序
一般的にインスリンの吸収速度は以下の順で速いとされています。
腹部 > 上腕 > 大腿 > 臀部
つまり、腹部が最も速く吸収され、臀部が最もゆっくり吸収されます。
ただしこれは一般的な傾向であり、個人差やその時の体の状態によっても変動します。
部位別インスリン吸収速度の比較
注射部位 | 吸収速度 | 主な特徴 |
---|---|---|
腹部 | 速い | 最も速く安定、ローテーションしやすい |
上腕 | やや速い | 腹部に次いで速いが筋肉注射に注意 |
大腿 | やや遅い | 吸収は遅め、運動で変動しやすい |
臀部 | 遅い | 最も遅い、持効型向き、自己注射しにくい |
吸収速度に影響を与える他の要因
注射部位だけでなく、以下のような要因もインスリンの吸収速度に影響を与えます。
吸収速度に影響する要因
- 運動:注射部位を動かす運動は吸収を速めます。
- 温度:注射部位を温めると血流が増加し吸収が速まります(例:入浴)。逆に冷やすと遅くなります。
- マッサージ:注射部位をマッサージすると吸収が速まることがあります。
- 注射の深さ:筋肉内に注射されると吸収が非常に速くなり、低血糖のリスクが高まります。皮下注射が基本です。
- リポハイパートロフィー:硬くなった部位では吸収が遅くなったり、不安定になったりします。
インスリンの種類と部位選択の考え方
使用しているインスリンの種類に合わせて注射部位を選択することも考慮します。
例えば食後の血糖上昇を速やかに抑えたい超速効型インスリンは、吸収の速い腹部に注射するのが一般的です。
一方、基礎分泌を補う持効型溶解インスリンは効果を安定して持続させるために、吸収の遅い大腿や臀部に注射することがあります。
ただし毎回同じ部位に打つのではなく、部位内でローテーションすることが大切です。
インスリンタイプと推奨部位(一例)
インスリンタイプ | 主な目的 | 推奨部位(吸収速度の観点から) |
---|---|---|
超速効型・速効型 | 食後血糖上昇の抑制 | 腹部(速い) |
中間型・持効型溶解 | 基礎分泌の補充 | 大腿・臀部(遅い)、腹部も可 |
※個々の治療方針により異なりますので必ず主治医や看護師の指示に従ってください。
吸収速度の違いを考慮した血糖管理
注射部位による吸収速度の違いを理解し、ご自身の生活パターンやインスリンの種類に合わせて部位を選択・ローテーションすることで、より安定した血糖コントロールを目指せます。
血糖値の変動が大きいと感じる場合は注射部位が影響している可能性も考え、記録をつけて主治医に相談してみましょう。
注射部位のローテーションの重要性
インスリン注射において毎回注射する場所を変える「ローテーション」は皮膚トラブルを防ぎ、インスリンの効果を安定させるために非常に重要です。
リポハイパートロフィー(脂肪組織萎縮・肥厚)とは
リポハイパートロフィーは同じ場所に繰り返しインスリン注射を行うことで皮下脂肪組織が硬くなったり、しこりのように盛り上がったりする状態です。
見た目では分かりにくいこともありますが、触ると硬さや盛り上がりを感じることがあります。
この状態になるとインスリンの吸収が悪くなったり、吸収のされ方が不安定になったりして、血糖コントロールが乱れる原因となります。
ローテーションの具体的な方法
ローテーションは同じ部位の中で場所をずらす方法と、注射する部位自体を変える方法を組み合わせます。
ローテーションの基本ルール
- 毎回、前回注射した場所から少なくとも1~2cm離れた場所に注射する
- 同じ部位(例:腹部)の中である程度規則的に場所を移動させる(例:右回り、左回り、S字状など)
- 注射部位(腹部、上腕、大腿、臀部)を定期的に変更する(例:1週間ごとに部位を変えるなど)
具体的なローテーション計画は主治医や看護師と相談して決めましょう。
腹部のローテーション例(4分割)
エリア | 期間(例) | 注意点 |
---|---|---|
右上腹部 | 1週目 | エリア内で毎回1-2cmずらす |
左上腹部 | 2週目 | エリア内で毎回1-2cmずらす |
右下腹部 | 3週目 | エリア内で毎回1-2cmずらす |
左下腹部 | 4週目 | エリア内で毎回1-2cmずらす |
注射部位の確認(観察と触診)
定期的に注射部位を目で見て、手で触って確認することが大切です。皮膚が赤くなっていないか、腫れていないか、硬いしこりがないかなどをチェックします。
もし異常を見つけたらその場所への注射は避け、主治医や看護師に相談してください。
ローテーションしない場合のリスク
ローテーションを怠ると、リポハイパートロフィーを発症するリスクが高まります。
硬くなった部位に気づかずに注射を続けるとインスリンの効きが悪くなり、血糖値が不安定になります。その結果、インスリンの必要量が増えてしまうこともあります。
適切なローテーションは長期的に良好な血糖コントロールを維持するために必要です。
正しいインスリン注射の手技
インスリンの効果を確実に得るためには正しい手技で注射することが重要です。基本的な手順と注意点を確認しましょう。
注射前の準備
まず、手指を石鹸と流水でよく洗い、清潔にしてインスリン製剤と注射針、アルコール綿(または消毒綿)を用意します。
インスリンの種類や量、注射器(ペン型注入器など)の操作方法を再確認します。
懸濁製剤(白く濁ったインスリン)の場合は指示された方法で均一に混ぜ合わせます。
皮膚の消毒
注射する部位を決め、アルコール綿で消毒します。消毒液が乾いてから注射を行います。
毎回同じ場所を消毒すると皮膚が荒れることがあるため、消毒範囲も少しずつずらすと良いでしょう。
皮膚のつまみ方(スキンフォールド)
皮下組織に確実に注射して筋肉注射を避けるために、注射部位の皮膚を軽くつまみ上げることが推奨される場合があります(特に痩せている方や子供、短い針を使用しない場合)。
親指と人差し指(または中指も加えて)で皮膚を優しくつまみ、筋肉をつままないように注意します。
ただし、使用する針の長さによっては、皮膚をつまむ必要がない場合もあります。主治医や看護師の指示に従ってください。
スキンフォールド(皮膚をつまむ)の要否
針の長さ | スキンフォールド | 注入角度 |
---|---|---|
4mm, 5mm | 通常不要 | 90度(垂直) |
6mm, 8mm | 推奨(特に子供や痩せた成人) | 90度または45度 |
※上記は一般的な目安です。個々の状況に合わせて指導を受けてください。
針の刺し方と注入、抜針
皮膚をつまんでいる場合は、つまんだ部分の頂点または付け根に指示された角度(通常は90度、または45度)で針を刺します。
針を刺したらインスリン注入ボタンをゆっくりと最後まで押し込み注入します。
注入後すぐに針を抜かず、数秒から10秒程度(インスリン製剤や注入器の指示に従う)待ってから刺した時と同じ角度で針をまっすぐ抜きます。
抜針後、注射部位は軽く押さえても良いですが、揉まないようにします。揉むと吸収が速くなりすぎることがあります。
インスリン注射における注意点とよくある間違い
安全かつ効果的にインスリン療法を続けるために注意すべき点や、陥りやすい間違いについて解説します。
注射針の再利用は絶対にしない
注射針は毎回新しいものを使用し、一度使った針は絶対に再利用しないでください。
再利用すると針先が鈍くなり痛みが増すだけでなく、針が折れたり曲がったりする原因になります。また、感染のリスクも高まります。
使用済みの針は、専用の廃棄容器に安全に廃棄します。
注射部位の硬結(リポハイパートロフィー)への注射を避ける
前述の通り硬くなった部位(リポハイパートロフィー)への注射は避けるべきです。インスリンの吸収が不安定になり、血糖コントロールが悪化します。
定期的に注射部位を触って確認し、硬い場所があればそこへの注射は中止し、他の柔らかい部位を選びます。硬結が改善しない場合は主治医に相談しましょう。
筋肉注射を避ける
インスリンは皮下組織に注射するのが基本です。
筋肉内に注射してしまうとインスリンが急速に吸収され、予期せぬ低血糖を引き起こす危険があります。
特に痩せている方や上腕・大腿など脂肪の薄い部位に注射する場合は適切な針の長さの選択や、必要に応じたスキンフォールド(皮膚をつまむ)が重要です。
空打ち(プライミング)の実施
ペン型注入器を使用する場合、注射前に毎回「空打ち(空気に針先を向けて少量のインスリンを出す操作)」を行い、針が詰まっていないか、インスリンが正しく出るかを確認することが大切です。
空打ちを怠ると実際に注射する際にインスリンが十分量注入されない可能性があります。
よくある間違いとその対策
間違い | 起こりうる問題 | 対策 |
---|---|---|
針の再利用 | 痛み、針の損傷、感染、吸収不安定 | 毎回新しい針を使用 |
硬結部位への注射 | 吸収不良・不安定、血糖悪化 | 部位の確認、硬結部位を避ける |
筋肉注射 | 急激な吸収、低血糖 | 適切な手技(針長、スキンフォールド) |
空打ち忘れ | 注入量不足 | 毎回空打ちを実施 |
よくある質問 (Q&A)
インスリン注射部位に関する、患者さんからの疑問や質問にお答えします。
Q. 注射する部位によって痛みは違いますか?
A. 痛みの感じ方には個人差がありますが、一般的に神経の分布が少ない部位(例:腹部、臀部)の方が痛みを感じにくい傾向があります。また、針の種類や刺し方、その日の体調によっても痛みは変わります。
毎回同じ場所ではなく、少しずつずらして注射することも痛みの軽減につながります。
痛みが強い場合は針の長さや種類について主治医に相談してみましょう。
Q. 注射した後、少し血が出たり、液が漏れたりするのは大丈夫ですか?
A. 注射後に針穴から少量の出血があることは時々起こります。清潔なティッシュやアルコール綿で軽く押さえれば通常はすぐに止まります。強く揉まないようにしてください。
また、針を抜いた後にインスリン液が少量漏れ出てくることもあります。注入後に数秒~10秒待ってから針を抜くことで、ある程度防げます。
頻繁に漏れる場合や量が多い場合は手技や針の長さが適切か、主治医や看護師に確認してもらいましょう。
Q. 注射部位は毎回変えるべきですか?同じ部位でも場所をずらせば良いですか?
A. はい、毎回変えることが非常に重要です。同じ部位(例えば腹部)に続ける場合でも前回注射した場所から最低1~2cmはずらしてください。
さらに、定期的に注射する部位自体(腹部→大腿→上腕など)も変更する「部位ローテーション」を行うことが、リポハイパートロフィーの予防と安定したインスリン吸収のために推奨されます。
具体的なローテーション方法は主治医と相談しましょう。
Q. リポハイパートロフィー(硬いしこり)ができてしまったら、どうすれば良いですか?
A. まず、その硬い部分への注射はすぐに中止してください。そして必ず主治医や看護師に相談してください。硬結の程度や範囲を確認し、今後の注射部位の選択やローテーション方法について指導を受けます。
硬結部位への注射を避けていれば時間とともに改善することもありますが、完全に元に戻らない場合もあります。予防が最も大切です。
以上
参考にした論文
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