インスリン治療を行っている方にとって、運動は血糖コントロールを改善し、健康を維持するためにとても有益です。しかし、運動中の低血糖を心配して、運動をためらってしまう方も少なくありません。

インスリン治療と運動を安全に両立させるためには、運動が血糖値に与える影響を理解し、インスリン量や食事を適切に調整することが重要です。

この記事では、インスリン治療中に安全な運動を行うための具体的な方法、低血糖の予防と対処法、そしてインスリンポンプを使用している場合の注意点について詳しく解説します。

なぜインスリン治療中の運動に注意が必要なのか

運動は筋肉でのブドウ糖の利用を促進するため、血糖値を下げる効果があります。

これは糖尿病の管理において良い効果をもたらしますが、インスリン治療中はその効果が強く出すぎることがあり、特に注意が必要です。

注射したインスリンの効果と運動による血糖低下作用が重なると、血糖値が下がりすぎて低血糖に陥る危険性が高まります。

運動による血糖値の変動

運動を始めると、筋肉はエネルギー源として血液中のブドウ糖をより多く取り込みます。インスリン治療をしていない人の場合、体は血糖値が下がりすぎないように、インスリンの分泌を自動的に減らします。

しかし、インスリンを注射で補っている場合、この自動調整が働きません。そのため、運動によってブドウ糖が消費され続けてもインスリンの作用は持続し、結果として血糖値が過度に低下することがあります。

低血糖のリスクとその症状

低血糖は、血糖値が正常範囲を下回った状態を指し、様々な症状を引き起こします。

初期段階では冷や汗や動悸、手の震えなどが現れますが、進行すると意識障害やけいれんを引き起こすこともあり、迅速な対応が求められます。

特に運動中は、汗をかくことや心拍数が上がることは自然なため、低血糖の初期症状と気づきにくい場合があり、注意が必要です。

低血糖の主な症状

症状の段階主な症状
軽度(初期症状)強い空腹感、冷や汗、動悸、手の震え
中等度頭痛、めまい、目のかすみ、集中力の低下
重度意識がもうろうとする、けいれん、昏睡

高血糖になるケースも

一般的に運動は血糖値を下げますが、短時間で強度の高い無酸素運動(短距離走やウェイトリフティングなど)を行うと、一時的に血糖値が上昇することがあります。

これは、運動のストレスにより血糖値を上げるホルモン(アドレナリンなど)が分泌されるためです。

運動前のインスリン量が不足している状態で強度の高い運動を行うと、この現象が顕著に現れることがあります。運動の種類によって血糖値の変動パターンが異なることを知っておくことが大切です。

運動前の準備と血糖値の確認

安全に運動を行うためには、運動前の準備が非常に重要です。特に血糖値の確認は、その日の運動計画を立てる上で欠かせない行動です。

自分の体の状態を把握してから運動を始める習慣をつけましょう。

運動前の血糖測定の重要性

運動を始める前には、必ず血糖値を測定してください。この測定値に基づいて、運動の可否、補食の必要性、インスリン量の調整などを判断します。

血糖値を知らずに運動を始めると、予期せぬ低血糖や高血糖を招く可能性があります。特に、いつもと違う時間帯や内容の運動をする場合は、より慎重な確認が必要です。

運動を開始する血糖値の目安

運動を安全に始められる血糖値の目安は、一般的に100mg/dLから250mg/dLの間とされています。

血糖値が100mg/dL未満の場合は、低血糖のリスクが高いため、運動前に糖質を含む補食を摂ってから開始します。

どのくらいの補食が必要かは、運動の強度や時間によって異なりますので、主治医や医療スタッフに相談してください。

運動前の血糖値に応じた対応

運動前の血糖値 (mg/dL)推奨される対応
100未満糖質10~15g程度の補食を摂り、再度測定してから運動を開始する
100~250運動を開始して良い。長時間の運動の場合は補食を準備する
250以上ケトン体の有無を確認し、陽性の場合は運動を中止する

運動を避けるべき血糖値の基準

血糖値が250mg/dL以上で、さらに血中や尿中のケトン体が陽性の場合は、運動を中止しなければなりません。

この状態は体内のインスリンが著しく不足していることを示しており、運動を行うとさらに血糖値が上昇し、糖尿病ケトアシドーシスという危険な状態に陥る可能性があります。

また、血糖値が高くなくても、発熱や下痢、嘔吐など体調が悪い時も運動は避けましょう。

運動の種類と強度による血糖への影響

ひとくちに運動といっても、その種類や強度、時間によって血糖値への影響は異なります。

自分の行う運動が血糖値にどのような影響を与えるかを理解することで、より適切なインスリン調整や補食の計画を立てることができます。

有酸素運動と血糖値

ウォーキング、ジョギング、水泳、サイクリングなどの有酸素運動は、持続的に筋肉でブドウ糖を消費するため、血糖値を下げる効果が顕著に現れます。

特に1時間以上続くような有酸素運動では、血糖値が下がりやすいため、運動中や運動後の低血糖に注意が必要です。事前のインスリン減量や、運動中の補食を計画的に行うことが大切です。

無酸素運動(筋力トレーニング)と血糖値

短時間で強い力を発揮する筋力トレーニングや短距離走などの無酸素運動は、アドレナリンなどの影響で一時的に血糖値が上昇することがあります。

しかし、運動後には筋肉が回復する過程でブドウ糖を取り込むため、数時間後に血糖値が下がり始めることもあります。

有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせる場合は、血糖の変動が複雑になるため、よりこまめな血糖測定が重要です。

運動の種類と主な血糖変動

運動の種類主な血糖変動注意点
有酸素運動運動中から運動後にかけて低下しやすい遅発性低血糖のリスク
無酸素運動運動中に一時的に上昇し、その後低下することがある運動後の血糖低下

運動強度と持続時間の影響

運動の強度が高く、持続時間が長くなるほど、ブドウ糖の消費量が増え、血糖値は下がりやすくなります。

例えば、ゆっくりとした30分の散歩と、1時間のランニングとでは、インスリンの調整方法や補食の必要性が大きく異なります。

自分の運動計画(何を、どのくらいの強さで、何分行うか)を具体的に考え、それに応じた対策を立てるようにしましょう。

低血糖を防ぐインスリン量の調整方法

運動による低血糖を防ぐ最も重要な対策の一つが、インスリン量の事前調整です。特に食事の際に注射する超速効型インスリンや、インスリンポンプのボーラスインスリンが調整の主な対象となります。

調整の基本は、運動で消費されるブドウ糖の分を見越して、インスリンを「減量」することです。

事前に計画された運動の場合の調整

運動の予定があらかじめ分かっている場合は、運動前の食事で注射する超速効型インスリンを減量します。

減量の幅は、運動の強度や時間、個人のインスリン感受性によって異なりますが、一般的には普段の量の25%から75%程度減らすことが多いです。

初めて挑戦する運動の場合は、少なめの減量から始め、血糖値の変動を見ながら調整幅を決めていくのが安全です。

運動強度に応じた超速効型インスリンの減量目安

運動の強度・時間インスリン減量の目安
軽い運動(30分程度の散歩など)減量しない、または25%減らす
中等度の運動(1時間程度のジョギングなど)50%程度減らす
激しい運動(1時間以上のサッカーなど)75%以上減らす、または医師に相談

インスリンの種類別の調整ポイント

インスリン治療では、複数の種類のインスリンを組み合わせて使用することがあります。運動前の調整で主に対象となるのは、食事に合わせて注射する超速効型や速効型インスリンです。

1日中効果が持続する持効型溶解インスリン(基礎インスリン)も、長時間の激しい運動を行う日には減量を検討することがありますが、自己判断で変更せず、必ず主治医に相談してください。

インスリンポンプ利用者の調整方法(BasalとBolus)

インスリンポンプを使用している場合、より柔軟な調整が可能です。運動の数時間前から基礎インスリン(Basal)の注入量を一時的に減らす「一時ベーサル機能」を活用できます。

また、運動前の食事の際の追加インスリン(Bolus)を減量することも有効です。このことにより、運動中の低血糖リスクを効果的に下げることができます。

どの機能をどの程度利用するかは、事前のトレーニングが重要です。

医師との相談の重要性

インスリン量の調整は、血糖コントロールの根幹に関わる部分です。自己判断で大幅な変更を行うと思わぬ高血糖や低血糖を招く可能性があります。

特に新しいスポーツに挑戦する場合や、運動習慣を大きく変える際には、事前に必ず主治医や医療スタッフに相談し、自分に合った調整方法について指導を受けてください。

運動中の注意点と低血糖への対処法

どんなに準備をしても、運動中や運動後には予期せぬ血糖変動が起こることがあります。運動中は常に自分の体調に気を配り、低血糖のサインを見逃さないようにしましょう。

また、万が一低血糖が起きた場合に備え、すぐに対処できる準備をしておくことが心の余裕にもつながります。

運動中の補食のタイミングと内容

1時間を超える運動や、強度の高い運動を行う場合は、運動中にも補食が必要になることがあります。

30分から1時間ごとに血糖値を測定し、低下傾向が見られる場合や、100mg/dLを下回った場合には、糖質を補給します。補食には、吸収の速いブドウ糖やブドウ糖を含む飲料、ゼリーなどが適しています。

運動中の補食に適した食品の例

食品の種類特徴糖質量の目安
ブドウ糖吸収が最も速い5~10g
スポーツドリンク水分と糖質を同時に補給できる200mlで約10~15g
糖質補給ゼリー携帯しやすく、素早く摂取できる1個で約10~20g

低血糖の初期症状に気づく

運動中は、低血糖の初期症状である「冷や汗」「動悸」「手の震え」などを感じたら、すぐに運動を中断してください。

これらの症状は運動による生理的な反応と区別がつきにくいことがありますが、「いつもと違うな」と感じたら、ためらわずに血糖値を確認する勇気が大切です。

自分の感覚を信じ、早めに対処することを心がけましょう。

  • 冷や汗
  • 動悸、脈が速くなる
  • 手足の震え
  • 強い空腹感

低血糖が起きたときの具体的な対処法

運動中に低血糖の症状を感じたり、血糖値が70mg/dL未満になったりした場合は、直ちに運動を中止し、ブドウ糖やブドウ糖を含むジュースなどを摂取します。

通常は糖質15gが目安ですが、まずは10g摂取し、15分後に再度血糖値を測定して、回復していない場合は追加で摂取します。回復した後も、すぐには運動を再開せず、しばらく様子を見てください。

一緒に運動する人への情報共有

もし可能であれば、友人や家族など、一緒に運動する人に自分が糖尿病であること、そして低血糖の可能性があることを伝えておくと、万が一の時に助けになります。

低血糖の症状や、ブドウ糖をどこに持っているかなどを共有しておくだけでも、安心感が大きく変わります。

運動後の血糖管理とインスリン調整

運動の影響は、運動が終わった後も続きます。特に、運動後数時間から翌日にかけて起こる「遅発性低血糖」は、インスリン治療中の方が特に注意すべき点です。

運動後のケアをしっかり行い、安全に運動を継続しましょう。

運動後の遅発性低血糖とは

運動で消費された筋肉のグリコーゲン(糖質の貯蔵形態)を補充するために、運動後も血液中のブドウ糖が筋肉に取り込まれ続けます。

この働きは運動後24時間以上続くこともあり、特に就寝中など、気づきにくい時間帯に低血糖(遅発性低血糖)を引き起こす原因となります。

特に、普段行わない長時間の運動や、強度の高い運動をした後は注意が必要です。

遅発性低血糖が起こりやすい運動の例

運動の種類
長時間の有酸素運動マラソン、長距離サイクリング、ハイキング
強度の高い運動サッカーやバスケットボールなどの試合、インターバルトレーニング
慣れない運動普段の運動習慣と異なる活動(引越し作業など)

運動後の血糖測定と補食

遅発性低血糖を予防するために、運動後も数時間おきに血糖値を測定することが推奨されます。特に、就寝前の血糖測定は必ず行いましょう。

就寝前の血糖値が低い場合(例えば120mg/dL未満など)は、吸収のゆっくりな糖質(クラッカーや牛乳など)を含む補食を摂ることで、夜間の低血糖を予防できます。

就寝前のインスリン量調整

夕方以降に運動した場合や、日中の運動量が非常に多かった日は、遅発性低血糖のリスクがさらに高まります。

このような日は、就寝前の持効型溶解インスリンの量を減らしたり、インスリンポンプの夜間の基礎インスリン(Basal)量を一時的に減らしたりする調整が必要になることがあります。

この調整についても、必ず主治医と相談の上で行ってください。

インスリンポンプと持続血糖測定器(CGM)の活用

近年、インスリンポンプや持続血糖測定器(CGM: Continuous Glucose Monitoring)といった機器の進化により、運動時の血糖管理は以前よりも行いやすくなりました。

これらの機器を上手に活用することで、より安全で自由な運動が可能になります。

インスリンポンプでの運動時の設定

インスリンポンプの「一時ベーサル機能」は、運動時の血糖管理に非常に有効です。運動の1~2時間前から基礎インスリンの注入量を30~80%程度減らすことで、運動中の低血糖リスクを大幅に軽減できます。

運動終了後も、遅発性低血糖を防ぐために、数時間は一時ベーサルを継続することがあります。自分に合った設定を見つけるためには、血糖値の記録と試行錯誤が必要です。

CGMが運動中の血糖管理に役立つ理由

CGMは、皮下に留置したセンサーで間質液中のグルコース濃度を5分おきなど、継続的に測定する機器です。このことにより、指先穿刺をせずともリアルタイムで血糖値の変動を把握できます。

血糖値の変動傾向(上昇中か、下降中か)を矢印で示してくれるため、低血糖や高血糖を予測し、早めに対処することが可能です。

運動中に何度も指先を穿刺する手間が省けるため、活動に集中しやすくなります。

CGMの主な利点

  • リアルタイムでの血糖値の把握
  • 血糖値の変動トレンドの可視化
  • 低血糖・高血糖の事前予測

CGMのアラート機能の活用

多くのCGMには、血糖値が設定した上限値や下限値に達した時、またはその予測がされた時に音や振動で知らせてくれるアラート機能が付いています。

運動中は、低血糖アラートの閾値を通常より少し高め(例:100mg/dL)に設定しておくことで、低血糖になる前に対処する時間を確保できます。

この機能を活用することで、安心して運動に取り組むことができます。

よくある質問

Q
運動は食前と食後どちらが良いですか?
A

一般的には、食後1~2時間経ってから運動を行うのが推奨されます。

食後は血糖値が上昇しているため、運動による血糖低下作用と合わさることで、食後高血糖を抑えつつ、低血糖のリスクも比較的少ない時間帯だからです。

ただし、食直後の激しい運動は消化不良の原因になることがあるため避けてください。空腹時の運動は低血糖のリスクが高まるため、行う場合は必ず事前に補食を摂りましょう。

Q
飲み薬だけで治療している場合も同じ注意が必要ですか?
A

糖尿病の飲み薬の中には、インスリン分泌を促進する薬(SU薬など)があり、これらの薬を服用している場合は、運動によって低血糖を起こす可能性があります。

ご自身が服用している薬の種類について主治医に確認し、運動時の注意点について指導を受けてください。

インスリン分泌を促進しないタイプの薬(メトホルミンなど)を中心に治療している場合は、運動単独で重い低血糖を起こすリスクは低いですが、体調管理や水分補給などの基本的な注意は同様に重要です。

Q
運動中にインスリンポンプが外れたらどうすればいいですか?
A

運動中にインスリンポンプのカニューレ(チューブ)が抜けてしまった場合は、まず落ち着いて運動を中断してください。

可能であれば、すぐに新しいカニューレに交換し、注入を再開します。すぐに交換できない場合は、運動を中止し、血糖値を頻繁に測定しながら帰宅し、速やかに再装着してください。

基礎インスリンが数時間中断すると高血糖になる可能性があるため、状況に応じて超速効型インスリンの追加注射が必要になることもあります。

対処法を事前に主治医と確認しておくと安心です。

Q
体調が悪い日でも運動した方が良いですか?
A

いいえ、体調が悪い時は無理に運動するべきではありません。発熱、咳、吐き気、下痢などの症状があるときは、体は感染症などと闘っている状態です。

このような時に運動を行うと、体に過度なストレスがかかり、血糖コントロールが著しく乱れることがあります。

特に、シックデイと呼ばれるこのような状態では、高血糖になりやすい傾向があります。体調が回復するまで運動は休み、水分補給と安静を優先してください。

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